井上光晴の伊万里、父探し (2)

 

 1616年に朝鮮陶工李参平が肥前有田(佐賀県)の泉山で良質の磁石鉱を発見して以来、有田、秘境大川内山に藩窯が置かれた伊万里は窯業の中心地となり、色絵磁器の優品を作ってきた。伊万里の港から積み出されたことから、この地方で作られた焼物全般は伊万里焼きと呼ばれた。海外文化にも影響を及ぼした伊万里焼、豊かな歴史を持つ有田、伊万里の窯業、そこに働く陶工の人生は多様なテーマで文学に描かれる。


 
 
随筆『去年きた客』で井上光晴は父雪雄の満州時代の友人だったという男の訪問について書く。 父雪雄が伊万里で亡くなった事を知り、七十歳ぐらいのその男は、父と同棲していた女の消息を聞きたいと訪ねてきたのだ。 当時の借金返済をにおわせながら満州時代の父[訪問者は父のことを雪雄君と呼んだ]の話をした。男が語るには、父は大東亜戦争勃発の頃(1941年12月)ソ連国境の北安と言う地で満州の粗末な土で小鹿田風のやきものを作っていたが、しばらくしていろんな事件が起こり消息が分からなくなった。
井上は父の道を外した人生の理由は民芸運動と多情さにあると感じている。大正から昭和の終戦までに、西欧の価値観に縛られない素朴な工芸と夢を求めて、多くの窯業家、工芸家が中国、満州に渡った。日本の帝国主義が頭を持ち上げ始めている時代でもあった。
 
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井上光晴にとって出自は重い意味を持ち、被爆や差別問題を扱った代表作の一つで、熊井啓が映画化(1970制作)した『地の群れ』(初出「文芸」1963)の主人公佐世保の開業医宇南親雄に自分を重ねる。
 
宇南親雄は自分が旅順の白玉山下で生まれたのか、佐賀県伊万里の村沢皿山で生れたのか、それとも別の何処かで生まれたのか、確かなことを知らなかった。彼は四つも転々とした小学校の尋常科を終える時まで、「生まれたくに」をきかれると祖母の言葉に従って、「伊万里の村山皿山」とこたえていたが、高等科に入ると、「旅順、乃木町」にそれを変更した。
 
やはり映画化された『明日: 一九四五年八月八日・長崎』(1982)は、その日結婚式を挙げたカップルを中心に、原爆投下前日の人々の普段の生活を描く。新婚の夫中川庄治は有田の窯の細工人だったが、肺の病を患い療養の後製鋼所で働いている。彼はその夜新婚の妻ヤエに陶工として復帰する夢を語る。
「やきもので生活のでくっとなら今でも作りたかと思うとります。自分の性にあう仕事ですもんね。できるなら自分のやきものを焼いてくらしたかとよ」
「白か土の中に七年もまみれとると、その外にはあんまり考えられんごとなっとですよ。初めのうちはそうでもなかとに、……そうでもなかというより、ひどうまどろしか気色のしてそう好いとる仕事でもなかった。どういうもんか、そんまどろしか気色がある時分から裏返しになってしもうたとかもしれん。なかなかいうなりにならん土こねて、火ば入れて、焼き上がった時の気色はなんともいえんもんね」
 
夕食が終わり彼は新婚の妻に小さな陶製の蓋物を渡す。
 
「蓋を開けてみなっとよか。そん小物はおいが作ったとばってんね」
「かわいらしか」
ところどころ朱の実をつけた柿の枝は上蓋までのびている。
「開けてみらんね」
庄治にうながされて彼女は瑞々しい突起をつまんだ。中指の先ほどもある真紅の珊瑚に、暗緑色のそれもかなり大きい石を飾った白金の指輪。
「きれか」
 
庄治は陶工として働き暮らす事を夢見、死の運命を背負いながら穏やかだ。五十六歳の時に書かれた『明日』の主人公は過去の作品の陶工達の激しさ、苦悩は見えない。井上の父探しは一先ず区切りがついたのだろう。
井上の晩年を記録した原一男ドキュメンタリー映画全身小説家』の中で、父が伊万里の絵付け師であったことを誇らしく語る。原の制作ノートとシナリオを載せた『全身小説家―もうひとつの井上光晴像―』には父が作った見事な絵付の皿の写真が載っている。晩年の父は新しいパートナーを得て、伊万里で色絵師としてつつましやかに暮らした。
 
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井上の小説や随筆、長女で作家の井上荒野のエッセイを読み合わせてみると、波乱にとんだ父雪雄の人生を辿っての父探しは自身のアイデンティティーを求めての旅でもあった。
長女荒野は井上の思い出をつづった『ひどい感じ 父・井上光晴』に、井上は「[雪雄は]腕が立ち、絵が上手な人だった」、「一説によると[雪雄の父は有田泉山に磁石を発見した朝鮮陶工]李参平の血を引く人だった」、「大連のホテルの壁には今も雪雄が描いたタイルが嵌めこまれているはずだ」と自慢し、父を誇り、敬愛していたとある。井上は二人の娘に陶芸の道を勧めた。次女が瀬戸の窯業専門学校にいくことになり、大変喜んだという。
 
繰り返し聞かされた[雪雄の]エピソードの一つ一つを、私は童話か昔話のように覚えている。そういう話をするときの父の口調はあこがれめいていて、いかにも雪雄を敬愛しているふうだった。
そして私は、、、、――雪雄と父は似ていると感じた。だから私の中で、会うことのなかった雪雄像は父と重なっている。
 
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『去年きた客』井上光晴(「蒼白の飢餓」創樹社1973、ちくま 1969年5月号)
*「蒼白の飢餓」は『なぜ焼物の美にひかれるのか』(初出:週刊朝日1973年4月27日号)も収録。 民芸の魅力と衰退の危機について記す。
『明日 一九四五年八月八日・長崎』井上光晴集英社文庫 1986
『ひどい感じ 父・井上光晴 井上荒野講談社2002
全身小説家―もうひとつの井上光晴像―(制作ノート・採録シナリオ)』原一男 (キネマ旬報社 1994)
記録映画全身小説家撮影・監督 原一男1994 (DVD版あり)
映画『TOMORROW 明日』監督 黒木和男1988 (DVD版あり)
映画『地の群れ』監督 熊井啓1970 (VHS版あり)