『余白の美』英訳版

 十四代酒井田柿右衛門著『余白の美 酒井田柿右衛門』の英訳版が作年(2019)の三月に出版文化産業振興財団(Japan Publishing Industry Foundation for Culture、JPIC)により出版された。英訳版タイトルは “The Art of Emptiness,” Gavin Frewが翻訳を担当した。 JPICは読書推進や出版産業の振興を目的とした一般財団法人で2015年よりJAPAN LIBRARYとして日本に関する書籍の英訳版を出版していている。

 『余白の美』は十四代酒井田柿右衛門(1934-2013)が柿右衛門焼、窯、技術や伝統、自身の役割、有田磁器の国際性、歴史、将来等などについて詳しく、忌憚なく語るもので、焼物愛好家や柿右衛門ファンの興味を満たしてくれるものだ。 2004年に出版された。

 英語版が出版され、柿右衛門焼の全容がより多くの読者に届くこととなった。 聞き書き形式の書で、内容は専門的で詳細、又内輪のエピソードも多く、佐賀方言混じりの語りなので、英訳で伝わらない部分もあるのではないか心配でもあったが、読み進めるうちに懸念は消えた。 個性的な語り口は魅力的な雰囲気を残しながら、翻訳作業を通して論理的で簡潔な文になり、明確に趣旨を伝えている。 

 私自身は『余白の美』は座右の書として読んでいたが、英語版は一語、一語時間をかけて読み、日本語版で読んだ時は気付かなかった技術の詳細、工房でのやり取りにある重要な事に気付きより深く理解できた様に思う。

 

 “Myself,” “Production,” “Appreciation”の三章で構成される本書は十四代柿右衛門が工房でキセルのヤニを掃除する場面からはじまり、タバコを吸う、キセルを掃除する事が職人の仕事場での習慣と語る。 インタビューが行われたのは約20年前のことで、喫煙に対する人々の考えは今とは少し違っていたが、英語版の読者には職場での喫煙が理解しにくいのではないかと思うが、これが職人気質でタバコがないと呼吸が合わないと言いう。2015年ラグビーワールドカップで話題になった、日本代表の五郎丸歩がキック前に行った精神統一の儀式的動作、〝ルーティーン″に共通すものに思える。 当時、喫煙は外でというひとがいるのは確かなので、「どうすればいいのかいろいろ考えているところです」 と柿右衛門は語っている。 現在はどうなっているのだろうか。

 十四代柿右衛門は、窯の伝統、職人の技術、工房での制作、柿右衛門様式、磁器の美など、詳細に語る。 近代化の過程での、父、祖父の葛藤、大学卒業後の工房での修行、今日も向かい合わなければならない新しい技術や原材料の調達、有田の磁器産業の現状と将来など種々の問題にも言及している。 芸術家、工芸家としてだけでなく窯の経営者として、有田の磁器産業の繁栄に真摯に取り組む柿右衛門像が浮かびあがる。

  日本美術の特徴で、何も描かない部分で空間の広がりを表現する「余白」はemptiness、empty space、white space、remained white、フランス語ではle vide などと言われ、ジャポニスムの画家、マティスジャクソン・ポロックなど現代美術家、デザイナーなども強く意識する。

 十四代柿右衛門は “Only when all three elements—aka-e, yohaku, nigoshide—are combined within a single piece of porcelain does it become known as “Kakiemon-style,” と定義し、300年、400年と柿右衛門様式を継承し続けてきたのは、代々の柿右衛門、職人達がその美に魅せられ続けてきたからという。

 濁手は十七世紀中葉に柿右衛門の赤絵を美しく見せるため有田の泉山から採れる石を中心に他の二か所からの石を混ぜ開発した磁土で作る乳白色の地肌を持つ磁器で、余白にその地肌が現れる。 十四代柿右衛門は磁器の美しさは石の良さであり、これがわかるのは日本人だけいう。又同時に、十七世紀初頭、泉山の石を発見し磁器を焼き始めたのは朝鮮の陶工達で、色絵は中国から伝わりこれを習った柿右衛門様式の誕生に中国、朝鮮の焼き物の影響は見過ごせないという。 

The Kakiemon “white” that comes out of the kiln is the result of the labors of everyone involved in the kiln; in fact, you could even say that it’s the fruit of the labor of generations of Kakiemon.  Life contains all kinds of pain and joy, but I think the color that absorbs all of these is “white.” 

 柿右衛門の白、すなわち濁手の地肌は、代々の柿右衛門、窯に携わった人々の苦労、喜びや悲しみを吸収している白なので、深く奥まで見てほしいと第二章の “Kakiemon White” の項で語る。

 1971年、濁手の技法は国の重要無形文化財の総合指定を受ける。濁手は一時途絶えたが、十二代、十三代柿右衛門が復活し、当主の作品として制作する。 失敗の少ない取り扱いやすい隣県長崎の天草石を使う窯ものの生産で、歩留まりが悪い濁手制作の費用を捻出する。 

 工芸のキーワード「伝承」と「伝統」は色々なところで語られるが、 第一章 “Transmission and Tradition”の十四代柿右衛門の言葉の英訳によってよりクリアーになる。

 ... there‘s a large difference between transmission and tradition. For example, if I were to simply continue the work that was done in the past, this would be the result of the transmission of old techniques. Tradition is something else. I believe tradition refers to taking the techniques that have been transmitted to you and adapting them in your own way, developing them.

 To put it another way, I believe it is to take the work that has been transmitted through the years and turn it into something that contains a contemporary air--surely that’s the real meaning of tradition.I believe to be able to embody your own attitude toward life is to preserve tradition. 

 

 第二章Production (つくる)では、伝承され、改良が重ねられる技術、原材料、工場での工夫が詳細に語られる。

 完成された柿右衛門様式の磁器の制作には有能な職人が持つ高度な技術が不可欠であり、その技術すべてを一人が熟達することはできないため分業体制を敷き、土や釉薬作り、ろくろ、絵付け、焼成などを専門に担当する職人が極めた技術を結集して作品が生まれている。  制作者をアーティストととらえず、アルチザンとし工房という仕組みの上に究極の美を求める。

 焼成で相似形には縮まない磁土は、デザイン担当の当主と職人のやり取りを経て、デザイン通りに完成するよう成形される。

 八角形の鉢の縁の角の小さな刻みはベテラン職人の工夫で、焼成時の縮む力を殺ぎ、美しい形を保つため入れられた。これは第三章の十二代柿右衛門八角深鉢Octagonal bowlの作品解説で紹介されている。

 技術の進歩、材料にこだわる関係者、磨き抜かれた技術を結集するプロフェッショナル達の仕事は工房の場面、場面によく表れている。 

 インタビュアーの和多田進が “you〔XIV Kakiemon〕were able to include your true feelings here and there throughout what you said in a most adroit fashion” と言うように、十四代柿右衛門は自身の芸術観、心情、窯の実情や企業秘密ではと思われる技法、一般には避けがちな辛口のコメントまで語っている。

 マイセンはじめヨーロッパの色絵磁器や中国磁器に関してのコメントは、外国人と日本人の美意識の違いを思い起こさせてくれる。 ペンと筆の輪郭線の違い、地肌の白の表情、色絵具の質感などに、完全美を求める中国、ヨーロッパの窯と、柿右衛門窯の作品の違いを指摘する。 柿右衛門窯の本焼きの焼成は200度ほど低い。

 “Science is no match for nature.” 科学ではなく、自然の原材料、観察と経験、職人の技術と経験に裏打ちされた勘を重んじ、茶道にも通じる不完全の美を求める。 自然の素材が含む不純物がもたらす“dissonance”と“inconsistency” と訳されたノイズと矛盾は日本の焼き物に必要と語る。

 窯の仕事を通して現代の磁器産業共通の課題に直面し、文化庁の負うべき役割にもふれ、現実と向き合う姿勢や名窯の責任感を読み取ることができる。

 

 第三章Appreciation (あじわう)では、古い時代の作品から祖父、父、自身の作品について、評論家の言葉でなくクリエイターとしてのユニークで示唆的な解説をする。 見逃しがちな美しさや洗練されたデザインに気付かせ、柿右衛門様式の作品の美の秘密を明かす。

 十四代柿右衛門は巻末のインタビューで語る。 

The more I spoke, the more I realized the importance of what I was saying. [laughs.]

There are countless books in the world offering a detailed scholastic examination or guide to our work, but I think this is the only book that presents our true thoughts. That may sound a bit self-promotion [laughs], but I do think it opens the door to our world. So I hope people read it. After that, it’s apt to them what they think. [laughs.] 

 十四代柿右衛門は、2001年色絵磁器の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、国際的にも高い評価を得ている。 「赤が一番難しい」と語っていたが、その赤は歴代で最も美しいと言われている。 

 読者は日本の色絵磁器、柿右衛門の神髄を学べ、鑑賞眼を深められる様に思う。

海外で日本の伝統工芸は高く評価され、その作品は広く受容されている。 日本独特と思われる分業の制作現場、自然の原材料が創り出すニュアンスやノイズ、余白や非対称への感性や美意識、保守的とも思われる科学に対する姿勢など、海外ではどう受け取られるのだろうか。

  目次の各章の項目に、日本語版はページが記されていないが、英訳版はページを載せているので、戻って確認したいときすぐに再読できる。

 写真は日本版より多く、又大きいカラー写真となっている。カットとして、十四代柿右衛門作品の色絵部分が使われている。

 [Figure 9]の色絵Flower-shaped plate with pine, bamboo, plum, and birds design (1670s-90s)の解説で梅の花と水平ラインを構成している “taihu rock”とあるが(p165)、柴垣である。(日本語版でも誤記されている。) 太湖石と同じく柴垣も柿右衛門様式のデザインのモチーフとしてよく使われる。太湖石の説明は[Figure 6]八角壺の解説に詳しい。

 JAPAN LIBRARYは工芸関係では、松田権六 “The Book of Urushi”(『うるしの話』)、 志村ふくみ “The Music of Color”(『色を奏でる』)、柳宗悦 “Selected Essays on Japanese Folk Crafts”(『柳宗悦コレクション 2 もの』、『民芸四十年』より)などを出版、その他建築、造園、歌舞伎、古典文学、歴史、政治、経済、外交、ポケモンなどポピュラーカルチャーなどの書も英訳出版している。

 これらの本は海外の図書館、大学図書館に寄贈されている。日本でも国会図書館はじめ多くの大学図書館が所蔵している。

 JAPAN LIBRARYのホームページ〈 japanlibrary.jpic.or.jp/ 〉は英訳版書籍の情報を掲載し、毎月e-ニュース・レターを発行している。 

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“The art of Emptiness” (JAPAN LIBRARY Book 39) 十四代酒井田柿右衛門(Japan Publishing Industry Foundation for Culture 2019) 

『余白の美 酒井田柿右衛門十四代酒井田柿右衛門集英社 2004)

『赤絵有情 酒井田柿右衛門』 十三代酒井田柿右衛門、 川本慎次郎西日本新聞社 1981) 聞き書き形式で、十三代柿右衛門が自身の半生、柿右衛門焼、窯、その伝統と現在を語る。

『遺言 愛しき有田へ』十四代酒井田柿右衛門 白水社 2015)十四代柿右衛門逝去の2013年から二年後の2015年に出版。柿右衛門焼の特徴、窯の仕事、有田焼の将来などを語る。