ロングフェローの詩「ケラモス」


伊万里、有田
1616年に朝鮮陶工李参平が肥前有田(佐賀県)の泉山で良質の磁石鉱を発見して以来、有田、秘境大川内山に藩窯が置かれた伊万里は窯業の中心地となり、色絵磁器の優品を作ってきた。伊万里の港から積み出されたことから、この地方で作られた焼物全般は伊万里焼きと呼ばれた。海外文化にも影響を及ぼした伊万里焼、豊かな歴史を持つ有田、伊万里の窯業、そこに働く陶工の人生は多様なテーマで文学に描かれる。

 
アメリカの国民的詩人ヘンリー・ワーズワースロングフェローの詩『ケラモス』に伊万里が登場する。1877年に発表された長編詩は、詩人が少年時代、故郷の老陶工がろくろを回し土の塊から器を作る様子を飽きずに見ていた経験にもとづく。詩人の空想の空の旅は、メイン州ポートランドの陶工の仕事場から出発し世界の窯業の地を訪ねる。大西洋を越え、デルフト、サント、マヨルカ島、イタリア中部の窯業地 グッビオ、ファイアンス、フィレンチェを訪ね、南下しギリシャの遺跡、カイロ、そしてヒマラヤを越え、景徳鎮、南京を経て伊万里に至り地球を半周する。各々の窯業地の繁栄の様子、そこで作られる作品の美しさを詠う。
少年時代に見た老陶工の挽くロクロの不思議な力からインスピレーションを得て、自身のヨーロッパの旅、冒険家の長男チャ―ルズの東洋滞在の土産話がイメージを膨らませた。
ケラモスはギリシャ語で、セラミックの語源であり、焼物の土、陶磁器、陶工等と訳される。ロングフェロー自身は、研究者からの問いに「陶磁器と言うより、むしろ焼物を作る土」を意味したと言っている。
旧約聖書、創世記は最初の人間アダムは土から作られと記す。老陶工はメイフラワーとも呼ばれる故郷の花サンザシの咲く谷で働く。自由を求めてメイフラワー号でアメリカに渡った祖先の宗教観も連想させる。
そして、「芸術、自然、人間」とテーマは大きく広がる。400行以上に及ぶ詩はこのように始まる。
逢坂収九州大学名誉教授が1993年に学会誌に発表された翻訳から引用させていただく。
 
「回れよ、ろくろ、回るのだ!ぐるりぐるぐる
休む間もなく、音も立てずに。
この世も回る、宙を飛ぶ!
マールと砂も適度に混じえたこの陶土、
わが手の動きのままに従う。
生ある物は同じ土から造られている、
だが従う者と命じるものと。」
 
陶工は仕事始めに歌いだした、
花も盛りのさんざしの木の下で。
 
(英語原詩)
Turn, turn, my wheel! Turn round and round
Without a pause, without a sound

 So spins the flying world away!
This clay, well mixed with marl and sand

Follows the motion of my hand;
For some must follow, and some command,
 Though all are made of clay!

Thus sang the Potter at his task
Beneath the blossoming hawthorn-tree,
 
歌を歌いながら魔術師のように土から器を作る陶工の技に見とれているうちに、詩人は空からデルフト、景徳鎮など世界の窯業地を訪ねる空想の旅に出る。そして日本の上空に達し美しい自然、伊万里の窯業の隆盛の様子を描き、美しい日本の自然が再現されている磁器を讃え、自然に従う者こそ最高の芸術家と詠う。
 
頷いて眼下を見れば――東の涯の
海の揺りかごに守られ揺られて列なっている
日本の島々。その湖水や野原の上で
こうのとり、さぎ、つるの群れが
清らかに澄んだ中空のここにかしこに漂い遊ぶ。
ややあって丘の斜面に現われる
伊万里の村々
工人群がり炎競い合う犇めくばかりの仕事場からは
煙の柱が縒り合わされた高々と昇ってくる。
さながらに廃墟となった雲の寺院の柱廊だ,
その甍の破れ目からは幾筋も陽の光降り注ぎ、
下から仰げば青空は壊れたアーチの列なりだろう。
こうして焼かれる数々の壺の優品、その文様は
この国に溢れるばかりの四季折々の明るい花々、
岩を噛む波、砂地に寄せくる波の花、
富士の高嶺に積もれる白雪、
煌めく星の織りなす星座が一面に
蒔き散らされた真夜中の空、
葉ずれの音も聞こえる小枝、
流れのほとり沼のたもとでささめく芦、
サフラン花の紫に黄に明ける曙、茜の夕映え。
またも囀る揚げひばり、誘われて空を見れば
こうのとり、さぎ、つるの群れが
またもや空の青にも染まることなく漂っている、
かくまでも巧みな「芸術」に写し換えられ甦る
「自然」の生命、天然の美。
 
まことにこれらに徹すれば、「芸術」は「自然」の子、
そうだ、まぎれもない愛し子なのだ。その子供のなかに
人々が透かして見るのは母なる人の面だち、
その表情と姿態や風趣、
威厳に満ちて、しかも優美な、面だちすべて――
その中に人間界の感覚が吹き込まれて
和らげられ馴化され矯正すらも加えられ
ひときわ心を魅了する優美の域まで形象された姿である。
それならば、筆の種類の如何を問わず、
「自然」に従う者、
その者こそは最高の芸術家だ。
一品作りの作家たると工人たるとにかかわりなく、
おのがじしの幻想や想念を追いながらなお、
「自然」が記しておいた足跡に、足取り軽くも
喜々として足早に足を踏み込み探索し、
導かれるまま恐れることなく極みにまでも従い行かねば、
人々の琴線に触れ、あるいは心を喜ばし、さらには
一段と崇高な人の心の切望を満たすことなど不可能なのだ。
 
伊万里の章は美しい日本の自然、それを写した伊万里、有田の磁器の特徴を捉えその芸術性を詠い上げた。
長男チャールズ・アップルトン・ロングフェロー(1844-1893)は詩が書かれる数年前、1871(明治4年) 六月から約二十ヶ月日本に滞在、蝦夷地から長崎まで旅し、沢山の工芸品と明治初期の写真を持ち帰った。親日家の彼はその後も二回来日した (ロングフェロー日本滞在記』 チャ―ルズ・アップルトン・ロングフェロー/ 山田久美子 平凡社 2004)。 チャ―ルズが滞日中家族と頻繁に文通していたこと、伊万里などの陶磁器の土産品に接したことなどで、詩人はチャールズを通しての日本体験により、たしかな、生き生きしたイメージを結び得たと考えられる。
窯業は十九世紀末位まで、限られた特権階級だけではなく、庶民の生活を豊かにする花形産業として期待されていた。伊万里はその中で、後のソニートランジスター・ラジオやホンダの小型車と同じように世界ブランドとして享受され、世界、特にヨーロッパの窯業に大きな影響を与えた。
ロングフェローの書簡集から、伊万里の部分を訳し、解釈に関してアドバイスを求めた日本人がいたことがわかる。ロングフェロー1877年11月23日付けの仲介者宛ての手紙で翻訳者、公使館員又は使節、 Amano Koziroに礼を述べ、解釈の誤りを礼儀正しく指摘している。
 
*****
 
蒲原有明1875-1952)には、夫人の実家が佐賀県有田町・蔵宿にあることから、詩『有田皿山にて』など、九州、有田に関連する作品が多い。有明明治三十一年(1898)六月「読売新聞」に連載した紀行文『松浦あがた』で『ケラモス』に触れ、伊万里、有田の往時を偲ぶ。
 
有田川は西南に流れて皿山を過ぐ。ここははやくより、磁器の製造をもて、その名世に布く。いはゆる有田焼の名産を出すところなり。維新の前、藩侯の通輦あるや、毎に磁土を途に布きて、その上に五彩を施せしといふ、また以て、窯業の盛なるを想ふに足るべし。
 次に伊万里川は北に流れ、大河内の近くを過ぎ、伊万里町を貫き、有田川の末とおなじく、牧島湾に注ぐ。大川内は「御用焼」もて知られしところ、今はたゞ蕭条たる一部落の煙を剰すに過ぎず。伊万里町は殷賑なること昔時に及ばずといふ。ここより盛に陶磁器を輸出せし時代やいかなりけむ。ロングフェロオが『ケラモス』と題したる詩のうちに、世界の窯業地としてその名をかずまへ、うるはしき詞もて形容せる数行の句は聊か現今の衰勢を慰むるに足りなむか。
 
*****
 
英文学者で元同志社女子大学の学長 児玉実英氏の著書『アメリカのジャポニズム 美術・工芸を超えた日本志向』の第四章「アメリカ文学の中の日本」、「ロングフェロー伊万里礼讃」と題した文で、ロングフェローの『ケラモス』を日本からアメリカに渡った美術工芸品に触発されて書かれた文学としている。
 『ケラモス』には「伊万里の風景と伊万里の壺の上に描かれているという日本のイメジが美しく書き連ねられている」、そして「この詩は興味深い構造を持っていることがわかる」という。
 
壺や皿の焼き物の表面に描かれた絵は、たとえば小さな川の流れの隣に比較的大きな鳥が描かれたり、小さな山や橋の傍らに大きな花が描かれたりする。それは、限られたスペースを有効に絵で飾るための工夫で、その結果いくつかのイメジが、互いにはっきりした論理的関連性を持つことなく並べられ、一つ一つのイメジが半ば独立して浮かんでいるような絵ができることになる。もちろん空間的には遠近法が無視される。時間的にも時間を越えた扱いがなされる。『ケラモス』の構造は、その伊万里の絵付け手法に似ているのである。
 
詩人の空想の旅は「東へ行くかと思うと南へ行く。 東北に飛んだあとは西へもどり、また東へ行く」と記し、 陶磁史にそって飛ぶわけでもなく、空間の論理も超えて飛んでいき、一つ一つの窯業地を独立した大小の絵のように浮かばせ、重ねることにより詩は構築されると指摘する。
児玉氏はそれまでのロングフェローの詩が伝統的構造を持っていたことを考えると、伊万里の絵付の手法がヒントになって、『ケラモス』はニ十世紀のコラージュ文学のスタイルを偶然先取りした構造になったと指摘する。「日本がアメリカ文学に与えた衝撃が決して小さなものでなかったことがわかってくるのである」と結ぶ。
 
*****
 
Keramos” Henry Wadsworth  Longfellow(“Keramos and Other Poems1878
『ケラモス』(陶磁器) 逢坂収・訳 (英語英文学論叢 第43集 中野行人教授退官記念号 1993 2月 九州大学英文学研究会)
アメリカのジャポニズム 美術・工芸を超えた日本志向』 児玉実英 (中公新書1995
『松浦あがた』 蒲原有明(初出:読売新聞」189866日~10日、12日、13日)