大切な食器

 

初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌などを紹介する。

 

最も多くの人が共有する柿右衛門のイメージは「大切な食器」ではないだろうか。

 

ジミーはできあがったオイスター・シチューをいつものボールによそった。オイスター・シチューを食べる時いつも使うボールで、口縁が型成形された十七世紀の柿右衛門だ。 代々父方の家に伝わるもので、古陶磁に詳しい友人、ウィン・クロージャーはこれはかなり高価なものだという。ジミーもそれはうれしいことなのだが、だからといってしまっておくのでは意味がないので、大切に使い続けている。(筆者訳)
 
これはアメリカの作家セシル・ラマールの小説で、ニューヨーク州北部の富裕層が住む田園地帯を舞台にフランス人シェフが連続放火と殺人事件を追うミステリー、“Appetite for Murder(殺人への欲望)からの一節だ。彼が経営するフレンチ・レストランで、地元の金持ち達は食事をし、パーティーを開く。 投資アドバイザーのジミー・ホ―トンはレストランの常連客の一人が、三十年前彼の父を殺した犯人であることをつきとめた。
食については伝統主義であるボストン出身のジミーは、キリスト受難の日が金曜日であったことから金曜日には肉は避けて魚を食べる習慣を守っている。子供の頃、金曜日のメニューによくあがったのがこの牡蠣のシチューで、この日もそれを作っている。当時家にいたアイルランド系の料理人のレシピ通りに作った。そしてそのころと同じように父方の祖先から受け継いだ十七世紀の柿右衛門のボールに盛り付け食べている。
 
美しい器を使わないで食器棚にそっとしまっておくなんて彼には考えられない。使わなければ意味がない。人生は短い。事実彼の父の人生もとても短く、わずか四十三歳で亡くなった。その時ジミーは十歳だった。
「僕だってあと何年生きるかわからない」
 彼は三十年前、父の仇を討とうと心に決めたのだった。(筆者訳)
 
オイスター・シチューを食べながら、ジミーは三十年前のことを思い出す。柿右衛門のボールは、父が生きていた頃、ボストンの家で夕食にオイスター・シチューを食べた想い出の器だ。両親もこのシチューが大好きで、ジミーと妹のクリスティーナ、子守のブリッグスと一緒にシチューを食べたあと、パーティーに出かけるのだった。家族の生活は父の死で一転した。父の死は狩猟事故を装った殺人だった。ジミーは今やっと父親殺しの犯人を探し当て、「仕事」をする時が来たと確信する。
 
 [食事を終えた]ジミーは、柿右衛門のボールを注意深く、丁寧に洗い布巾で拭いて、テーブルクロスをしまうチェストの引出にいれた。そのあとに、ほかの食器を洗い片付けをすませた。
 
柿右衛門の器は小さなエピソードを語る小道具であるが、犯人を探り出す主要な登場人物の心理と行動に大きな影響を与え、このミステリーで確かな存在感を示す。柿右衛門は日用の食器として大切に使われ、懐かしい家族の想い出を喚起し、復讐を決意させる。
 
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火野葦平の小説『赤道祭』は南太平洋に日本ウナギの産卵地探査に出かける若い海洋生物学の研究者の物語だ。主人公藤川第四郎は東大の水産学科の学生で、同じ水産学研究者の兄第三郎、同僚二人と共に南の海に向かうマグロ漁船に乗船させてもらう。探査隊のメンバーは航海中使う食器や箸はそれぞれが用意してきていた。
 
歌をつくったりする第三郎は、旅に出ても趣味をわすれぬように、柿右衛門の茶碗などを持ちこんできていた。
「僕のも柿右衛門ですよ」
柳河出身の大平幸二も、有田の焼物を愛用しているのであろう。
「どれ、みせてごらん」第三郎は手にとって、茶碗の裏底をしらべ、「これはニセ柿だ」と、笑った。
「そんなことはないですよ。ちゃんと、有田の町で、柿右衛門窯元にいって買うて来たとですけん」
「それがニセなんだよ。本当の十二代柿右衛門のは、・・・・ほら、柿右衛門作、と書いてある、これなんだよ。君のこの四角に福のマークは、昔からの柿右衛門の銘だが、いまはちがう。柿右衛門のいない窯元が昔の角福を使っているだけだ」
 
若い研究者第三郎には贅沢でもある美しい柿右衛門の飯碗は、恩師の九大教授森迫博士から結婚祝いとして贈られた自慢の器だ。そろいの飯碗の一方で食事をしながら、無学ゆえに、夫とつり合わないことを悩み家を出てしまった妻のことを考えている。 逃げた妻が戻るはずもないのだが、心のどこかで待っている。
 
加津子と結婚したとき、森迫博士が祝いに柿右衛門焼の夫婦茶碗をくれた。花嫁のが花婿のよりすこし小さかった。二つとも今でもある。目録をもって荷物をとりに来た加津子の使いも、茶碗のことはきいていなかった。船に乗ることがきまると、第三郎は大事に大きい方の茶碗を持ってきたのである。
 
第三郎にとって柿右衛門の茶碗は、恩師の祝福、短くはあったが妻との幸せな結婚生活を象徴するものである。その存在が大切な人との絆であり身近に持っていたいものなのだ。
火野が新聞連載の小説に角福銘の柿右衛門を「ニセ柿」と書いたことで、十二代柿右衛門脱退後も角福銘を使う柿右衛門合資会社の事業家に名誉棄損で訴えられた裁判でこの小説を知る者が多い。
しかし、「――人間には永遠に調和というものはない」と第三郎に考えさせ、「日本ウナギの産卵場をつきとめることに一生を賭けると思いきめている」第四郎の研究に対する使命感、あるいは理性と愛欲の関係など深いテーマをもつ小説である。火野はこの小説で柿右衛門茶碗に登場人物の心理描写の明確な役割を与えている。
タイトルの「赤道祭」は、船が赤道を通過するとき海の神に航海の無事を祈る儀式のことである。第四郎は赤道近海でウナギの仔魚レプトセファルスと卵をはらんだ親ウナギの採取に成功するが、嵐に襲われ全てを失う。第四郎は人魚の様な妖艶な船主の妾と孤島に漂着するが、学問に一生をかけこの課題を極めたい若い研究者の情熱の前に、彼女との熱い恋も終わる。
ウナギの仔魚採取に成功した第四郎は兄にいう。「日本ウナギの産卵場はどうも僕にはフィリピン群島東部のどこかの深海のような気がします」
2011年7月初旬、東京大学九州大学等の研究グループがグアム島西方で日本ウナギの卵147個を採取と報道された。第四郎のいうフィリピン群島東方である。この研究グループは2009年世界で初めて天然ウナギの卵の採取に成功している。
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柿右衛門の食器に特別の思いがあり愛用する人は多い。イメージ 1
物理学者広瀬立成にとっても、柿右衛門の小さな皿は大切に使っている特別なものだ。
広瀬は若々しく、若者から尊敬されるこれからの老人像を随筆集「超老人のすすめ 物理学者が見つけた元気の秘密」の中で描く。『日本の伝統文化に学ぶ』の章で、骨董に趣味のある叔母さんから譲られた、江戸時代中期のものといわれる柿右衛門の小皿のことを語る。叔母さんはひとしきり講釈を述べ、「大事にしてちょうだい」といって、手渡してくれたという。
 
この言葉が妙に記憶に残っていて、引越しの時など特別の注意を払った。あるときテレビで、個人が所有する骨董を専門家が鑑定し、値踏みをする番組を見た。専門家の目は厳しく、本物と偽物では評価に大きな差があることを知った。
 
広瀬は叔母さんからもらった小皿が本物かどうか気になり始め、値踏みしてもらおうかと思いもしたが、結局しなかった。偽物と判明した時、がっかりすることを想像するのが怖いということもあったが、本物か偽物かは広瀬にとってあまり意味のないことと気づいた。
 
値段などどうでもいいのだ。その小皿に酒の肴を盛り付け、それをつまみながら、夏休みに長良川のほとりにあるおばさんの家に長期滞在したこと、そして、そのときのやさしかったおばさんのことを思い出して、ほのぼのとした気分で酒が飲めればいいのだ。
 
王侯貴族の館を飾る財宝とは別に、柿右衛門は市民の食卓で命の糧を盛り、各々の大切な思いをも盛って愛用されている。
 
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Appetite for Murder” Cecile Lamalle (Warner Books Inc. 1999)
『赤道祭』火野葦平 (新潮社 1951、 初出:毎日新聞 1951 3月より連載)
『日本の伝統文化に学ぶ』広瀬立成(「超老人のすすめ 物理学者が見つけた元気の秘密」 PHP研究所 2004