初代柿右衛門の伝記物語
日本で初めて赤絵磁器の焼成に成功した初代酒井田柿右衛門(改名前:喜三右衛門)(1596-1666)の物語は、歌舞伎や国語の教科書で取り上げられて以来、多くの児童書や漫画の伝記物語シリーズ、又単行本として登場してきた。 榎本虎彦作 世話物狂言「名工柿右衛門」が、十一代片岡仁左衛門の名演で大正元年(1912)初演以来繰り返し上演され、大正11年(1922)から終戦まで小学五年生が、友納友次郎著の「陶工柿右衛門」(尋常小学国語読本巻十、後の初等科国語六巻では「柿の色」と改題)を学んだ。 失敗を繰り返しても諦めず、苦労の末「夕日に照らされ輝く柿の実の色」を焼物に再現した発明家の成功物語は多くの子供達の心に残り、世代を超え広く語られ、自身の目標達成に向かう人生訓としたことが随筆などに書かれた。
国語教育学者で文部省嘱託として多くの教科書教材を著した友納はその後、少年文庫読本物語シリーズ全三十巻の第二巻に「陶工柿右衛門」(1925)を著した。 教材を書くに当たっての調査で得た西松浦郡郡長樫田三郎の『陶工柿右衛門』などの資料、陶芸家板谷波山(1872-1963)の助言、歴史的背景を加えた約90ページの読物となった。
戦後出版された偉人物語文庫シリーズ中山光義の『日本陶業の父 陶工柿右衛門』は柿右衛門の忍耐と努力とともに、商人や中国、朝鮮の陶工との交流、ヨーロッパでの受容も詳しく綴る。 その後出版された多くの伝記はこの二冊に依拠するものが多い。 鵜飼まもるの漫画『陶工柿右衛門』も含め、三作は代表的な作品と云えるのではないか。
柿右衛門伝は定番として出版されていたが、2000年以降は非常に少くなる。
2010年の朝日新聞教育面の記事「伝記 変わる顔ぶれ」は半世紀前の 1970年代末に出たシリーズと2000年以降のシリーズではラインアップが変わってきていると指摘する。「今の社会につながりが深い業績を挙げた人物」が加わった。2017年の産経新聞くらし面でも子供向けの偉人伝に取り上げられる人物の様変わりを指摘し、歴史を変えるような発明、発見をしたり、人類のために尽くした偉人とともに、経営者、時代の先端を生きた女性,今を生きるヒーロー、ヒロインなどが登場しているという。
アップル社の共同設立者スチーブ・ジョブスの伝記は一般向け、児童向け、漫画ともに出され、本田宗一郎、手塚治虫、イチロ―、マザー・テレサ、オードリー・ヘプバーン、ネルソン・マンデラ等が全集、シリーズに登場してきた。
世界の偉人約60人を紹介している絵本『心すくすくはじめての伝記』には,「色あざやかなお皿をつくった 酒井田柿右衛門」が所収され、長年の努力の末の赤絵焼の成功と共に、日本オリジナルの美の創造、国内外の窯業発展への貢献、ヨーロッパでの受容と多大な影響に焦点を当てる。同じポプラ社の『心を育てる偉人のお話』の「柿の実の色のおさら 酒井田柿右衛門」も日本人の美意識、鉱物の化学が創りだす艶やかな厚みを持つ、紙に画く絵では表現できない、赤絵の表現に言及する。
日本の美術工芸の名匠20人の伝記集,江埼俊平、志茂田誠諦著『日本名匠列伝』の「酒井田柿右衛門 陶工『柿の色』伝説の名匠」は赤絵の創出、その成功に不可欠の日、明、朝鮮の商人や陶工との交流、濁手素地に調和する余白を生かした絵画的な文様の柿右衛門様式の美、ヨーロッパに輸出され、窯業の発展に寄与したことなど取り上げ著わす。赤絵の技術を伝えたとされる周辰官を清から明への政権交代時の混乱を避けて逃れてきた貿易商とし、景徳鎮の生産補填の為の有田焼量産の必要性からの分業制の導入に影響を与えたなどの視点からの時代背景、五代の弟渋右衛門の貢献も含め六代までの柿右衛門窯の盛衰も記す。
初代柿右衛門は偉大な陶工であった。初代が創意工夫した作陶技術に、中興の祖ともいうべき渋右衛門[五代の弟で六代の後見人]が新風を吹き込み、さらに柿右衛門窯や有田皿山の無名の陶工たちがその流れを絶やさぬように力をあわせてきたことが、柿右衛門の名を支えてきたといえよう。
『世界が称賛!すごい日本人』は古代から現代まで世界から称賛された50人の日本人を紹介する。柿右衛門の項は、日本の美意識を体現した柿右衛門様式の磁器が輸出され、ヨーロッパでそのコピーが製作された国際性と経済性に焦点をあてる。柿右衛門様式の磁器の製作は1660年頃始まり、輸出され、ドイツのマイセンが1725年色絵付けに成功しコピーを製作するようになり、以来フランスのシャンティイ、イギリスのチェルシー窯などでもコピーを製作し、現在まで続いている。 「美しい日本の磁器――。そのイメージを定着させた 酒井田柿右衛門の功績は、あまりにも大きいのである」と結ぶ。 この本では葛飾北斎をジャポニスムを巻き起こした「元祖クール・ジャパン」としている。 柿右衛門は十七世紀の「クール・ジャパン」と言える。
伝承されたぎじゅつの上に、今の人に受けいれられる作品を作っていくことが伝統だと思います。
工学者で『失敗学のすすめ』の著者畑中洋太郎は『技術の街道をゆく』第4章「ミクロの世界をのぞきに行く」で有田焼磁器の製法自体は400年、本質的に変わっていないことに興味を示す。技術屋は技術は新しく進歩すべきものと信じているが、十四代柿右衛門は「自分達はただ美しいものを作ることが第一で、技術はそのためにある」、「自分が美しいと思うものが作れるうちは変えない」という姿勢で技術と向き合っていると云う。畑中は、「美しいものを作る」という言葉の裏側には、「変わらないために変える」という柔軟な考え方が隠されていると云う。
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「この人も知っておきたい!」(『10分で読める 夢と感動を生んだ人の伝記』塩谷京子監修 学研教育出版 2015)
初代酒井田柿右衛門伝記所収全集リスト
「消えかかるカマの火 有田焼の名工柿右衛門」諸星竜 (『五分間伝記:東西七十五人の逸話』生活社 1955、国会図書館デジタルコレクション)話道研究家、講談師諸星が1952から4年間、文化放送と朝日放送「逸話の和泉」で演じた200人を超える自作の伝記より選択)
「すばらしい赤絵の陶器 新しい焼法を生み出した陶工柿右衛門」作・唐沢道隆、絵・佐多芳郎(『世界100人の物語全集 私はこんな人になりたい(10)芸術に生きぬく物語』 日本子どもを守る会編 集英社 1964、国会図書館デジタルコレクション)
「陶工柿右衛門」(偉人伝記シリーズ5 初版:『この人に学ぼう』国文社 1967)対象:児童
「陶工柿右衛門」(偉人伝記シリーズ5『この人に学ぼう』国文社 1971)対象:一般