源氏鶏太作「十五代柿右衛門」


 江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌などを紹介する。


 
 
1957年刊行された源氏鶏太の短編集『背広を脱いだサラリーマン』に収録されている「十五代柿右衛門」はちょっと軽率な、しかし憎めないどこにでもいそうなサラリーマン、吉田君の話だ。終戦から10年余り、都会のサラリーマンの暮らしはやっと落ち着き、趣味を持ったり、知的環境を整える余裕も出てきた。高度成長へ向かう希望に満ちた時代である。「十五代柿右衛門」、あれっと首をかしげた読者も多かったのではないか。 当代は確か、、、
 
吉田君は新刊の全集の広告を見るとすぐ欲しくなる。大部の全集を買うことにした吉田君は会社出入りの本屋に注文し、その素晴らしさを同僚に説明する。
 
「勿論、これは家宝になる。」
「たとえ、僕が読まなくともこどもがこれを読む。そして、孫も読むだろう。孫がこれを読む頃には、僕はもうこの世に居ないかもしれない。しかし、孫たちはきっと、祖父である僕に対して感謝するだろう。いいおじいさんであったんだなと思うだろう。ついでに墓参りをしてくれる気にもなるだろう。僕は絶対に申し込むよ。」
 
吉田君は第一回目の配本は熱心に読むのだが、二回目、三回目の配本になると興味を失い止めてしまう。しかし、新しい全集が出ると又すぐに注文し、すぐ飽きて止めてしまう。こんなことを繰り返しているので、吉田君の家には、数種の全集の一、二回目の配本ばかり並んでいる。
そんな或る日、会社に古道具屋が現われ素晴らしい掘り出し物があるから買ってくれないかと柿右衛門の花瓶を取り出す。
 
「十五代柿右衛門作ですよ。」
「これがいわゆる柿右衛門の柿色というのだろう。素晴らしいね。」
「流石は吉田さん、お目が高いです。」
「あたりまえだ。」
 
吉田君は花瓶にほれ込む。鑑識力をほめられ、「よし、買った」と言ってから、しまったと思うが結局買うはめになる。吉田君は本来なら五万円するという〝十五代柿右衛門作″の花瓶を、一万五千円で五回の月賦で買うことになる。大卒の初任給が一万三千円前後で、全集物の本ならニ、三百円の頃のことである。この分不相応な買い物を奥さんに納得させることができるとは思えない。 二百九十五ページの『背広を脱いだサラリーマン』は二百七十円だった。
しかし吉田君は世の好事家達が珍重する柿右衛門の名品を持つことは、心を豊かにすると考える。同僚の何人かは芸術を愛する吉田君を見直さなければと思いだす。
柿右衛門の作品は、平凡な市民にとって高価で手の届きそうもないものだが、側に置いて愛でたいと夢見る美術品として描かれる
 
彼(吉田君)には柿右衛門について小学校の読本で読んだ以上の知識は何もなかったのである。 柿右衛門に十五代があるのかどうか、かりにあったとしても、いつごろの時代のことなのか、それも知らなかった。
 
この小説が発表された1957年は十二代柿右衛門の円熟期。1953年に十二代柿右衛門と長男渋雄が長らく途絶えていた濁手の復元に成功し、柿右衛門300年祭を祝った。十五代は勿論、十三代、十四代もまだ襲名していない。渋雄は1963年十三代を襲名し、孫、正は1982年に十四代を襲名する。
 
奥さんを怒らせてしまった吉田君は翌日社長にこの買い物を肩代わりしてもらおうと、「社長、一生一代のお願があります」と切り出す。
 
「ほう、いいものらしいね。」
「はァ、十五代柿右衛門ですから。」
「いくらで買えというのかね。」
「一万五千二百円です。」
 
吉田君は畳みかける。
 
「ですから、どうぞ、お願いします。でないと、家内が口も利いてくれません。となれば私の仕事の能率にも影響する、ということになりかねません。私はそれを最も恐れているのです。」
 
 
しばらく花瓶を眺めていた社長は、気に入ったらしく、アイスクリーム4個分の二百円も含めて、一万五千二百円で買ってくれることになった。重荷がおり晴々した吉田君は、急に腹を押さえトイレに駆け込む。
前夜、高価な買い物を奥さんに納得してもらうため、大好物のアイスクリームを土産に買って帰ったのだが、奥さんは断固拒絶し吉田君が仕方なく全部食べたのだ。
 
二月四日(2014)に故十四代柿右衛門の長男酒井田浩さんが襲名し、十五代柿右衛門が誕生した。小説「十五代柿右衛門」は半世紀を過ぎその設定は崩れた。骨董に疎い古道具屋を信じ、気のいいサラリーマンと社長が”ニセモノ”をつかまされる話のオチ、舞台となった時代を意識することで作者の狙った醍醐味を味わえる。
 
源氏鶏太1912-1985)は長年会社勤めの傍らサラリーマンの喜怒哀楽を描いたサラリーマン小説のベストセラー作家。1951年に「英語屋さん」で直木賞を受賞。同年『サンデー毎日』に連載した短篇「三等重役」がヒット、映画化され、“三等重役”は流行語にもなった。1956年には勤続二十五年十ヶ月で会社を退職し、作家に専念する。1958年より直木賞選考委員、1961年より東宝株式会社監査役も務めた。著作は長編約100篇、短篇は250から300篇と多作で、大半が映画化またはラジオ、テレビドラマになり、その名は広く全世代に知られていた。十返肇は『新日本文学全集』第14巻(集英社1962)の「解説」でその登場人物は、〝本人の半身、又はそのバリエーション″という。
 
平サラリーマンと社長のゆるりとした関係は何ともうらやましい。吉田君の眼に花瓶は形、品、色、共に申し分なかった。十五代作ではないが、本物の柿右衛門作であってほしいと願う。
 
 
 
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「十五代柿右衛門源氏鶏太(『背広を脱いだサラリーマン』六月社 1957、『抜群の昇給』春陽堂文庫1960
『わが文壇的自叙伝』源氏鶏太集英社 1975