「柿右衛門」原マスミ様式


 

江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌、美術などを紹介する。


 
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                                   柿右衛門  原マスミ            ©Masumi Hara
                                                          (By courtesy of Gallery House Maya)
 
2013年一月、原マスミは個展「カメレオン」に磁器をテーマにしたオイルパステルの新作「柿右衛門」、「古九谷」、「蛸唐草」を発表した。
 「柿右衛門」は片膝を立てた少女の肖像で身体全体に柿右衛門様式の古典文様が描かれている。 傘と軍配を持つ唐人風の人物が両腕に、その前膊には赤い紗綾形文、胸から腹部にかけて梅と鶯に竹、足には牡丹と鳳凰、岩山、松、飛雲、家の山水が余白をとって描かれている。頭部には丸い摘みの付いた蓋がある。原特有の大きな眼の少女は正面を向き真っ赤なペディキュアをしている。鮮やかな色彩の不思議な雰囲気を醸す絵だ。
 「蛸唐草」の少女は藍色の唐草に全身を覆われ、「古九谷」の少女はブルーの丸文、紺の菖蒲と菊が黄土色のボディに描かれ、椿の枝を持つ。少女達は焼き物の壺の精のようだ。「柿右衛門」の少女の肌は濁手を思わせる乳白色、「蛸唐草」の少女の肌は呉須の藍色文様に生える純白に近い。
東京・北青山のGallery House Mayaで開かれた個展で、この有田焼三様式の作品は並べて展示された。(「古九谷」の産地に関しては石川県説もある)
 
原マスミ1955年生まれ。1976年からシンガー・ソングライターとしてライブ活動を始めた。独特の声、現代詩のような歌詞、卓越したギター演奏でコアなファンを持つミュージシャンで、ナレータ―、俳優としても活動する。1980年代半ばより画家、イラストレーター、絵本作家として個性的な作品を発表する。よしもとばななの本の装画や挿し絵で広く知られる。眼の大きな少女の肖像を様々なテーマで描く、独特なスタイルを確立した。
2007年、目黒区美術館開館二十周年記念の展覧会「原マスミ大全集」の開催要項が原のアートの世界を紹介してる。
 
彼の絵画=イラストレ―ションは、造形的には、対象のフォルム等を簡略化し、濃密でありながら明快な色彩を用いるものが多いと言えるでしょう。そこに描く対象への素朴な思いやユーモアを伴った親しみある感情、時にシニカルな批評を織り交ぜつつ、明るい孤独感に満ちた思索的かつ夢幻的な明暗のコントラストの際立つ世界を作り上げでいます。彼のポップ・シュールな音楽世界と共通する魅力が其絵画世界も共有するものであることの一端は、彼のサウンドの熱烈なファンの多くが、同様に絵画にも魅せられることによって明かされでいるでしょう。
 
 原は三点の焼き物の作品を“突然変異”という。
作品の多くは少女のポートレートでテーマを背景や衣装、小道具、顔など身体の一部で表現していたが、焼き物の作品では少女の姿がテーマの表現となる。
原は“フェルメールの青”等、芸術家は独自の、その作品を特色づける色を持つが、「柿右衛門の赤」もその一つで、少女が足の親指の爪に塗ったエナメルで表現しているという。ぺディキュアをする女性の成す矩形のポーズで描かれる。
 
原は初代酒井田柿右衛門を“マッドサイエンティスト”だという。 
対談集『夢の4倍』(北冬書房 1996)に所収されている物理学者渡辺一衛との対談で、原は科学、特に物理への興味を語り、「科学者のエピソードとか、人間について書かれた本も好きです。そういう人たちってみんな、どこかマッドサイエンティスト的に個性的ですよね」といっている。
柿右衛門1640年代、日本で初めて磁器の赤絵付けに成功した。不可能と思われていた赤絵焼成技術の開発は困難を極め、生活も困窮に陥りながらも、遂に成功する。
その物語が語られる歌舞伎「名工柿右衛門」や、大正末から終戦の年まで使われた小学校の五年生用国語教材「陶工柿右衛門」(後に「柿の色」と改題、 国定国語教科書 第三期)からも研究に没頭し続ける奇人科学者像が窺える。
 
人は此の有様を見て、たはけとあざけり、気ちがひと罵ったが、少しもとんぢゃくしない。彼の頭の中にあるものは唯夕日を浴びた柿の色であった。(旧仮名使い、原文のまま)(「陶工柿右衛門」友納友次郎)
 
マッドサイエンティストは、フィクションではしばしば犯罪に手を染め、あるいは精神を病んだ悪役キャラクターの印象が強いが、不可能と思われる研究を執拗に続け、遂に完成させてしまう天才科学者で、しばしばまわりの見えない変人だ。赤を創生した初代柿右衛門はこのような人物であったのだろう。
偉大な進歩には、既成概念に捕らわれず、ひたすら求めるものに突き進み、時に過激、“マッド”であることは不可欠である。前衛やパンクと共有する精神を感じる。 
 
 
十四代酒井田柿右衛門JR九州の豪華寝台列車ななつ星の室内に洗面鉢、テーブルランプ、花瓶等自身の作品を提供した。人間国宝である柿右衛門は「列車に自分の磁器を乗せることにまるで躊躇している様子はなかった」と列車のデザイナー水戸岡鋭治は振り返る。柿右衛門は乗客をびっくりさせるような小物を置くのも面白いのではないかと、装飾品として陶板等と共に磁器の蜂の巣とボタンを制作した。かねてから十四代の“圧倒的なデザイン力”を感じていたと云う水戸岡はそんな柿右衛門に前衛性を見た。
 
 「この人は本来はアバンギャルドな人で、もっととんでもない前衛的なことに挑みたいと思っているけれど、何百年も続いた家を継ぐ宿命の中で生きているのではないか」と忖度している。(『「ななつ星」物語:めぐり逢う旅「豪華列車」誕生の秘話 』一志治夫 小学館 2014
 
襲名30周年を記念した新作「濁手松竹梅鳥文壺」発表の時、柿右衛門は「今までやったことがないような色や絵柄、形に取り組み、若者が驚く作品を作りたかった」と語っている。(佐賀新聞 2012
927日)
柿右衛門様式の幅は無限。これまでのファンが『えっ』と驚くような、今まで描いたことがない絵を描いてみたい」(西日本新聞 2012 927日)、「これまでとは違った作品に取り組み、見た人から『変わりましたね』、『どうしたんですか』といわれたい」等とも語っていた。(毎日新聞 2012 927日)
“革新の積み重ねが伝統をつくる”といわれている様に、現在十五代を当主とする柿右衛門家には初代以来、前衛のマッドサイエンティスト的、あるいはパンク的血が流れているのであろう。
Art Life Museum the Net<www.art-life.ne.jp/creator/artist_top.php?artist_id=C0084>のインタビューで、埴谷雄高稲垣足穂寺山修司、ダダ等から刺激を受け青春を過ごした事が最高の財産だと思うと語る原もこの血を共有するのではないか。
 「宇宙と自然の恵みが熟成した素材が美しさの要素となる」と語り続けた十四代柿右衛門、原の歌も時空を超え、月や星、大空や海を舞台に深まる。
 
『夢の4倍』の映画監督鈴木清順との対談で原は「シュ―レアリズムが好きそうですね」と問われて、「多感な年齢で出会い『こういうのしてもいいんだ』って嬉しくなりましたね」と振り返る。そして肖像を描くことについて語る
 
「シュールねたは、子供の頃からの空想癖のキャリアでいくらでも頭の中でこしらえられるんですけど、最近は人間そのものを描きたくなってきたんです。 、、、、人間そのものを描いてぼく自身その人物と出会ってみたいというのがありますね。」 
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・「柿右衛門」、「古九谷」、「蛸唐草」等、原マスミ作品の画像はGallery 
House Mayaのホームページ
http://www.gallery-h-maya.com/artists/haramasumi/に掲載されている。
・「人間の秘密~原マスミ公式ホームページ」は、<human.secret.jp/
・『こわくない夢 原マスミ作品集』  原マスミ(新潮社 2007)  2007目黒区美術館で開催された
原マスミ大全集」のカタログを兼ねた作品集
・対談集『夢の4倍』  原マスミ北冬書房 1996
J-Lyric.netj-lyric.net/artist/a04df37/で、原マスミの曲の歌詞を検索、閲覧できる。
原マスミ氏の自作オイルパステル画「柿右衛門」に関するコメントは、十月三日(2014)、東京・吉祥寺のStar Pine‘s Cafe での公演の後に頂いたものです。