原点は食器

 

 
十四代酒井田柿右衛門さんのご逝去を悼み、心から哀惜の情を捧げます。
 

 
 
十四代酒井田柿右衛門の最初の襲名記念展覧会は1983年、博多、小倉、東京で開催された食器展だった。より大規模な八都市を巡回する 十三代追悼、十四代襲名記念「柿右衛門の世界―原流から現代まで」の前に開催された。
1982年の襲名に際し、十四代柿右衛門は「柿右衛門も有田も焼き物の原点は食器」と語った。柿右衛門窯の経営者として、その著書『余白の美』やNHKの『100年インタビュー』で、様々な言葉で食器の大切さを語り、「食器の展開」を実現した。
酒井田家に残る江戸時代の注文帳には御小皿、御茶碗、長皿、中丼、徳利、向付け等の多くの注文の記録が残り、ヨーロッパへの輸出の記録にも大量の食器が含まれる。歴史的にも、大壺などの美術工芸と共に食器は柿右衛門窯の製造の中心を成していた。
 
膳の上には飄逸な柿右衛門の皿に櫨が腹から朱黄色の子を出した儘二疋揃って煮付けられてるのが載っている。山椒の葉に引き立てられ一層美しい。これを眼に楽しませる丈けでもいつもより二三合は余計飲める勘定だ。
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長方形の皿にハゼが二匹並んでいる。漫画家で小説家の岡本一平の「漫画国の出来事」の主人公在原無名氏は、大阪の川沿いの定宿で晩酌を楽しんでいる。無名は閑人で、毎年退屈しのぎに甲子園の高校野球の前身、全国中学野球優勝大会の見物に来る。
卒業生でもなく、広島出身でもないのだか、無名氏はただ応援歌が呑気だからと贔屓して、宮島商業学校の応援席にもぐり込み一緒に応援する。
  宮島さん厳島神社の神主は 御神籤ひいて申すよう
いつも宮商は 勝ち、勝ち、かあち、かち
この歌は元は広島の中学野球の応援歌の一つで、後に広商や広陵高校野球の応援歌になった。今はプロ野球カープファンも歌っている。
岡本一平は美術家岡本太郎の父で、大正から昭和前期にかけ、漫画と軽妙な短篇小説から成る漫画漫文と呼ばれるジャンルで活躍した。東京朝日新聞の記者として漫画と文でルポを書いた。当時同じ朝日にいた夏目漱石に絶賛される程の名文家だった。 中学野球大会の京浜予選の野球大会スケッチ」(1919)、「米野球団試合スケッチ」(1920)、「甲子園野球大会・画の速報台」(1929)など野球のルポが多い。1929に増設された甲子園球場の内野スタンドをアルプススタンドと名付けたのは一平という。一平は身体ばかり大きくなった年若い選手が、一球の勝ち負けに憂き身をやつしている姿、感情をまっすくに出すところはこの年頃の値打ち、といっている
 
有田工業高校はことし創部114年目にして、初めて甲子園に出場する。
 有田工業高校の前身有田工業学校製陶科に学んだ十三代柿右衛門1906-1982)の自伝 『赤絵有情』(西日本新聞社1981)に有工時代を振り返る次のような一節があった。
 
 珍しいことに私は野球をやっていたんですよ。左ぎっちょなんで、ピッチャーにいいぞ、と合宿に引っぱっていかれて投げさせられたが、いつも補欠。正式な試合には出ずにすみました。
 
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朱尾晃輝の小説「イザナを継ぐ者」は、二億年前惑星イザナから来た戦士の末裔遙亮と日本を征服しよう企てる組織との戦いを描く。
 
野田が好物の甘鯛の酒蒸しに箸を付けながら牛頭に言った。
「我が国の印刷技術は世界一じゃよ。あれは、偽札ではない。本物のドル紙幣じゃよ。……
……野田は甘鯛が乗っていた皿を持ち上げ、底を覗きこんだ。
「ほほう、やっぱりな。 うむ、なかなかよい赤を出していると思うたが、有田の柿右衛門ですかな、これは」
「赤絵彩磁の柿右衛門というても、何代目の柿右衛門かは判らんて。 ところでな、野田君、江田島にも困ったものだぞ。メニューに包んだままのコカインを持ち帰り、いくら私や君に連絡が取れなかったからといってだ、そのままで山根組に渡すとは信じられん阿呆だ。能力のない男だが、判断力までないとはな、あれでも一国の首相か」
 
築地の金田中を思わせる高級割烹金柴田で、新興宗教団体の領袖牛頭一全と、政府民自党の幹事長野田廣一、経済連盟会長が密談する場面で柿右衛門の皿が登場する。
 
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親子鍋に玉葱の薄切りをたっぷり敷き、揚げたばかりの豚の肩ロースのかつを切ってのせ、長さん自慢のタレを計り入れる。その上に、水に戻した干し椎茸を千切りにして、根三つ葉の刻みとともに振り入れ、蓋をして火にかける。すぐに熱して、タレがぷくぷくと蓋から吹き始める。親子鍋の蓋を取り、割り置いた卵を菜箸でほぐしながら回し入れる。もう蓋はしない。卵が半熟になったところで火を止める。ここが大事なところで最大のコツである。白身が薄白く濁ってきたら、鍋をコンロから下ろす。
かみさんが用意した、柿右衛門の丼に七分目によそられたご飯の上に親子鍋の柄を持ってスーッと落とし入れると、蓋をして仕上がりである。
 
 白鳥萬翁の小説、大正生まれの深川芸者の生涯を描く『おとめ』の一場面で、とめが晩年毎日のように通いその波乱の人生を語る小料理屋で、板前の長次朗がとめの夫朝吉の為に好物のかつ丼をつくる。本格派のかつ丼柿右衛門の丼に盛られ、腕利きの板前だった朝吉も満足させるものだった。
 
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柿右衛門の鶏透けて河豚の皿  鈴木石花 
 
作者お気に入りの双鶏文の角皿(約20センチx20センチ)に盛った河豚の刺身から柿右衛門の鮮やかな赤の鶏が透けて美しい様子を詠む。二羽の鶏と垣に絡まる朝顔は江戸時代からの柿右衛門の古典文様で皿などにみられる。
 
赤なしの柿右衛門なる鮓の皿  高浜虚子
 
櫨の煮付け、甘鯛の酒蒸し、河豚刺し、寿司、庶民の味かつ丼まで。節のごちそう、あるいは好物を盛られた柿右衛門の食器は料理を引き立て、食欲を刺激する。古いものも、又十四代の時代のものも、柿右衛門の食器は旅館、料亭、レストランで使う人に何かを語りかける。
 
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「漫画国の出来事」岡本一平(『どこか実のある話』磯部甲陽堂 1922、『一平全集第二巻』大空社 1990、初出:『日本一』四月号 南北社1920
  『どこか実のある話』は国立国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧できる。
『イザナを継ぐ者』 朱尾晃輝 新風舎 2005
『おとめ』 白鳥萬翁 (文芸社 2000)
『句集 花辛夷』 鈴木石花 ふらんす堂 2009)
柿右衛門」 高浜虚子(『立子へ抄 虚子より娘へのことば』岩波文庫 1998
岡本一平 漫画漫文集』清水勲編 岩波文庫 1995)