十四代柿右衛門さんの著書より

 
 

 
 
十四代酒井田柿右衛門さんのご逝去を悼み、心から哀惜の情を捧げます。
 
 

 
 
 
「赤絵」、「余白」、「濁手」の三つを総合した磁器の確立したスタイルが「柿右衛門様式」と言われているものなんですね。私どもはその様式を三百年、四百年継承し続けてきたという事ですけれども、私たち自身、柿右衛門様式の“美”というものに魅せられてきたからなんだと思います。
 
十四代柿右衛門へのインタビューを、日本聞き書学会の和多田進が纏めた『余白の美 酒井田柿右衛門からの言葉だ。2004年の出版まで3年を費やしたこの本は、「わたし」、「つくる」、「あじわう」の三部からなり、柿右衛門窯の当主十四代柿右衛門が「柿右衛門」のすべて――自身の生い立ち、当主としての役割、歴代の柿右衛門柿右衛門窯、柿右衛門様式の美など――を語る。 
 
十二代柿右衛門の晩年にあたる昭和三十年代(1955-1965)、化学的に不純物を取り去った鉱物原料が急速に普及し、きれいな色は出るが、それまでの原料で出せた深い味は出せなくなった。東京の大学を卒業して有田に戻った十四代柿右衛門は絵具の調合テストを続け、手仕事では取り除ききれなかった鉄や銅など鉱物の中の不純物が絵具に深味をもたらす重要な物質であると考た。そして自然の中でゆったり酸化した、古釘や古い銅板を腐らせ、塩分を取り除き絵具を調合した。十四代柿右衛門はこの経験が後の仕事に大変大きな意味を持ったと語っている。
 
工芸の世界全般に言えることでしょうけれども、やきものの場合には特にそういう不純物が重要な役割を果たすんですね。不純物は、何と言ったらいいか、やきものに「いい味」と言いますか、「表情」といいますかそういうものを出す重要な物質だと私は思うんです。
 
古いものでしたら、もう全部OKなんです。[不純物の残る]不完全な鉱物がいいのですね(笑)。いや、今のもいいんですよ(笑)。いいけれども色だけ残って深味が出ない。表面だけ色になって、とろっとしたところがないんですね。……味が無いって言えばいいんでしょうか。江戸時代から伝えられた色絵磁器の中の色じゃない。現代の化学製品はそれには及びません。化学は結局のところ自然に及ばないってことじゃないですかね。 
 
十二代、十三代の二人から指導を受けることが出来た恵まれた環境で、十四代柿右衛門は世界約五十ヵ国を訪ね柿右衛門の国際性を肌に感じ、中国、朝鮮から続く有田の四百年の歴史を背負って日々の窯の仕事に従事して得た広い視野をもつ。
第二部では色絵磁器の制作工程を原材料調達から詳しく語る。有田のあるべき姿、将来の展望、柿右衛門の伝統、その美の核心、職人の役割など深く考察する。
読み返すたびに新たな発見があり、知識が深まる。
十四代柿右衛門は有田の将来に楽観的ではない。歴史、技術など他の産地には無い宝を持つ有田だが、今は真の意味での職人がいなくなったという。例えば、原料材料が変わって久しい今、使わなくなっていた難しい泉山の石を操れる職人、柿右衛門様式の八角深鉢を作る土と炎を知り尽くした高い技術を持つ職人等、、、
 
せめて、伝統的な技術の良さというもの、なにが変わっても取り戻せるというようなことをやらないと有田は無いですね。有田は無くなってしまいます。
 
どこから見てもですね、海外から見ても日本中のどの産地から見ても、有田ほどなにからなにまで揃った筋の通った産地というのは無いんです。有田が伝統をとりもどさないと日本の磁器の歴史は途絶えますよ、本当に。作家の先生がいくら大勢おられたとしても、これはまた違う領分なんです。職人が有田の町に戻らんと有田は無くなります。有田に職人が戻るというのが私たちの希望なんです。
 
第三部の「あじわう」は歴代柿右衛門作品の解説。作り手の視点で語られ、制作者の苦心や喜び、挑戦する心が伝わり、より深い、楽しい鑑賞に導かれる。
十四代柿右衛門はこの本の「濁手に銘を入れない本当の理由――あとがきにかえて」の中で、「学術的に精査された著作や、案内書的な書物も世の中にはいっぱい出回っておりますね。けれども、私どもの『本音』ということになると、やっぱりこの本じゃないか、これだけじゃないかとも思いますし」と語っている。
 
 
財団法人聖マリアンナ会理事赤尾保志の対談シリーズ『いのちを語る』十四代柿右衛門は伝統、柿右衛門の魅力、自身の夢など色々な思いを語る中で、中国、朝鮮にルーツを持つ有田の磁器の歴史を振り帰る。対談は昨年(2012)十一月二十日に佐賀県有田町の柿右衛門窯で行われた。
 
確かに、中国の製品は絵具そのものや、描き方にしても、部分的には素晴らしいと思うんですが、日本人は、全部真似たわけではないんです。……何をとりいれたらいいか、見分けがつく日本人がいたということなんですね。最初の頃は、中国の様式を良しとして、絵具もそうですけど、デッサンも中国のものをそのまま写した作品がずいぶんありましたよ。それを日本人の美意識に合わせるようにして、段々取り入れるべきものと省いてもいいところを仕分けしていったんです。……学びはしましたが、真似はしていないんです。最初から日本流にやっていますね。
 
十四代柿右衛門は日本が中国に学んで日本人の美意識で日本流に変えていったのと同じように、柿右衛門もドイツのマイセンでその写しから始まり、マイセンの美意識で独自の柿右衛門に仕立て上げられたことは興味深いことという。
 
NHKテレビ100年インタビュー』十四代柿右衛門を有田町の柿右衛門窯に訪ねる。 
細工場、絵書座、江戸末期に作られた本焼窯を映像で紹介し、職人の働く様子を十四代柿右衛門が案内する。「ここ(有田)では職人は宝物」と十四代柿右衛門は言う。
有田の窯元で職人はロクロ、下絵つけなど、一つの技術を修業する。育てるには十数年かかり、五十歳でまあまあ一人前といわれる。易しいことからはじめ、大きなものを作れるようになるのは三十年位かかる。繰り返しに見える作業だが、皆飽きないと云う。
十四代柿右衛門は皆、「難しい、難しい」と言っていますと云う。
 歴代の柿右衛門の作品を紹介しながらのインタビューでは、十四代柿右衛門「純粋はきれいだが、美しくない。きれいはどこにでもいくらでもある。日本人は綺麗と美しいの違いが分かる。しかし、本当に味のある美しいものは工芸の中からも段々姿を消していく」と憂慮する。
そして十四代柿右衛門が魅せられるという江戸時代初期の色絵蓋付壺の魅力を語る。
趣のある色の美しさ、胎に出る泉山の石の素顔、職人の理屈ではない身体の中に入っている芸での動くままに描いてしまったような伸びやかな筆使い、まだ完成していないようにも見えるが全体を見るとバランスが取れている上絵などをあげる。
 
 「以前、テレビの番組で、外国のどこに行きたいか聞かれたことがあって、私はこういう江戸期の職人、元禄の有田に行って職人に会ってみたい、 どういう思いで描いたのか、どういう生活でどういう世の中で、どういうものが美しいとされていたか、聞いてみたいといったんです」
 
 「蓼はいいですよ」
 「楚々とした日本らしい草花、私はいいと思っています。……どこか野原の隅 の方で静かに咲いているような花ないでしょうか。そういうのが日本人的な花じゃないでしょうか。日本人の美って何だろう。本来日本の伝統的な美しさというのが、きれいさにならんように、消え去らんように、美しさとして残したい」
  
 紅葉の大皿を(赤と緑の葉が美しい)を見ながら、自分の作品はまだきれいすぎる、どこか足りないという。
 
ロータリージャパンの2010大会記念講演『有田の伝統を語る』十四代柿右衛門は有田、日本の窯業の未来のため、「職人の存在価値を高めたい」と以下のように語った。
 
 
有田で生まれたこの色絵磁器の歴史は、すでに400年あるわけです。これまでずっと、先人たちの手によって、本当に素晴らしい有田の焼き物をつくっていただいています。しかしながら、おそらく平成になってから、何かが少し変わって来たように思います。はっきり申し上げると、作家が上で、職人が下だと言うような風潮、価値観が生まれているのです。そうではなく、本当の職人の価値が認められた、有田本来の姿に早く戻りたいと思っています。他の窯元さんとも連携をとりながら、できるだけのことをしていくつもりです。もちろん私にできるのは、職人を育てる事です。物をつくるよりも職人をつくるほうがはるかに難しい。職人を育てるのは、私の宿命みたいなものだと感じています。
 
十四代柿右衛門は、柿右衛門窯の団体としての重要無形文化財指定、経済産業省の伝統工芸士認定制度等、職人を認める制度があるのは喜ばしいことだが、立派な職人を沢山育てるにはもう一歩踏み込んだ取り組みが必要という。芸術系大学で作家を育てるだけでなく、腕のいい職人を教師に、筋の通ったやり方で職人を育成することが必須であり、地道に努力している職人をもっと元気づける、職人が尊ばれる社会に戻して行かなければならないと語った。
 
『炎芸術』の巻頭対談「十三代今泉今右衛門 vs 十四代酒井田柿右衛門 磁器王たちのミーティング」(『炎芸術281990秋号)で、十四代柿右衛門は有田で色絵をする人が少なくなっていることについて語る。  
 
 例えば絵の具にしても不純物が入っていないので、綺麗なんですが弱いというか、浮いた感じになりがちなんです。科学的にどんどん進んできて、色は多種多様ですが、そのぶん深みや表情にかけてきています。そういった意味でなかなかやりにくい面もあるんではないでしょうか。それと絵をつけることで、ロクロの世界が死んでしまう事があるんでしょうね。
 
 有田の正統な色絵の退潮を案じつつ、しかし色絵をする事の大変さも理解する。二十年余り前の言葉だが今も実情は余り変わらない。
 
十四代柿右衛門はこの他にも多くの講演、対談をし、インタビューを受けた。その中には、ビートたけし青磁人間国宝中島宏との「達人鼎談 元禄時代に行ってみたい」(『新潮452009 10月)、「絢爛たる日本伝統文化の伝承 作家じゃなくていい、職人であってほしい」(『財界人』2010 4月号)などもある。
 
多角的な視点で様々のことを語り続けた十四代柿右衛門の言葉は時に厳しいが、有田を思う暖かい叱咤激励であった。有田だけでなく、陶芸、工芸関係者に出された大きな宿題と受けとめよう。
 
 
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『いのちを語る:赤尾保志対談シリーズ 第16回』十四代酒井田柿右衛門、赤尾保志、草柳隆三(聖マリアンナ会 2013
  *ウエブサイト「いのちを語る」(inochiwokataru.com/)からPDFファイルで閲覧出来る。
100年インタビュー 陶芸家 十四代酒井田柿右衛門(NHK 2010)  聞き手は渡邊あゆみアナウンサー
*追悼番組として2013624日再放送された。
『有田の伝統を語る』(ロータリージャパン2010大会記念講演)デジタル化された講演記録がwww.rotary-bunko.gr.jp/pdf/289/289_01-1.pdf)に掲載されている。聞き手は「100年インタビュー」と同じNHK 渡邊あゆみアナウンサー。