皿山の歳時記
江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌などを紹介する。
喪中なる柿右衛門窯柿熟るゝ 鼓虫子
有田ホトトギス会を結成し、指導的役割を果たした岸川鼓虫子の句で、『「窯」歳時記』に載る。句集は有田ホトトギス会の会員の昭和四十五年(1970)から二十年間にホトトギス誌に入選した句を集めたものなので、この句は十三代柿右衛門が逝去された昭和五十七年(1982)、喪に服す窯を詠じたものだ。当主を失いひっそりと佇む窯元の庭の柿の木は例年どおり実を結び、朱赤に熟している。
季節がめぐり、柿右衛門窯の柿の木はまもなく照柿色の実に彩られる。
有田は俳句が盛んな土地柄で愛好者も多いという。李参平を祀る陶山神社には明和九年 (1772)の年号が刻まれた「雲折々人を休むる月見かな」という芭蕉句碑(月見塚)が残っている。松尾芭蕉の有田訪問はなかったが、同時代の俳諧師大淀三千風は、全国行脚で九州まで足をのばし有田に立ち寄った。その『日本行脚文集』巻の四に貞亨二年(1685)二月二十八日有田に入り、窯業地有田の活況と黒髪山大智院の僧正と談話したことが記されている。五代柿右衛門を訪ねたとの記述も研究書に残るが、裏付ける資料の存在の確認はできない。計三回の九州訪問で三千風は長崎の俳壇に大きな影響を与えた。
『「窯」歳時記』収載の折々の柿右衛門の句で一年をめぐる。
雲雀野の柿右衛門窯煙吐く 草平
行く春を独り窯守る柿右衛門 鼓虫
土用窯攻めの指図の柿右衛門 草平
皆拾ふ柿右衛門の柿の花 青甕
月今宵柿右衛門窯煙吐く 草平
遠目にも柿右衛門窯柿たわゝ 未知多
茅葺の柿右衛門邸柿熟るゝ 多代
窯神に主が点す初明り 須磨
威勢よく廻る轆轤や窯はじめ 多代
窯百戸賄う溪の水温む 鼓虫子
腰重き田植え疲れの窯仕事 未知多
窯疲れ故の居眠り夜学の子 鼓虫子
風筋に風鈴を吊り赤絵濃む たつみ
台風のそれし安堵や窯火入る 須磨
大歳の窯に届きし薪千把 未知多 (泉山 妙見堂句碑)
干支の子の絵皿に追われ窯師走 鳴風
どの窯も煙吐きをり年の暮れ 紫雲洞
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柿二つ昔を思う古窯跡 鍋島直紹
昭和二十八年(1953)十一月に開催された「初代柿右衛門三百年祭」の記念に焼かれた三枚の皿の一枚に染付で書かれた当時の佐賀県知事鍋島直紹の即興句だ。この皿には十二代柿右衛門の「百事如意」の文字と柿の実の絵も描かれている。十二代柿右衛門は多くの願いが意の如く叶うようにと柿に、百合根、霊芝らしきものを添えた。百は百合、柿の音読みが「じ」であることから事は柿の実、霊芝が如意棒に似ていることから古くからこの組み合わせの盛物が秋の茶席などで飾られた。
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『「窯」歳時記』 (有田ホトトギス会 1990)
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