柿右衛門窯訪問記 (2)

 


 江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の
素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる
柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、
人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌などを
紹介する。


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ある日訪れた柿右衛門との出会い。それは、いかにも甘美な戦慄だった。脳の感情の中枢である扁桃体は、大脳新皮質に先んじて「好き」「嫌い」の判断をする。「柿右衛門」と恋に落ちた。目の前にあったちいさな陶磁器と「駆け落ち」したい気分だった。
 
脳化学者茂木健一郎は『柿右衛門の沈黙』で「柿右衛門」との衝撃的な出会い以来、この「なまめかしさと温かさ」を兼ね備える肌合いの焼物がどんなところで作られているのだろうと気にかけていた。茂木は平成二十二年九州の地域活性化をめぐる会合で有田町を訪れた際に柿右衛門窯を訪問した。整頓され掃き清められ、歳月を感じさせるたたずまいの静寂に満ちた仕事場に思わず息を飲み、工場の空間がまるでインスタレーションでもあるような感銘を受けた。 「柿右衛門」の魅力、それは「沈黙の美しさ」だと言う。
本当に幸せになると、人は沈黙するもの。自分を取り囲んでいる静謐を、言葉で乱したくない。そして、時間の流れがきめ細かになる。ちりちりと、意識が瞬間を刻んでいくその現象学が、感謝とともに想起される。
美しいものは、美しい場所で作られる。陳腐だが、あまりにも確かな真実。
もの言わぬものたち。私を包んだ沈黙の気配は、そこで作られた柿右衛門の、具体の姿を通して知らすしらずのうちに伝わっていたのだろう。そうだとしか思えない。
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作家で文芸評論家の渋川(ぎょう)は昭和十五年の六月、柿右衛門窯を訪ねた。有田町の親戚をたずねてまわる総勢九人の家族の旅の一日、南川原で雑貨屋を営む親戚を訪問した後、十二代柿右衛門と知り合いであるという父の案内で窯に向かう。親戚の息子は柿右衛門の工場の上絵師として働いている。
其の旅行記柿右衛門の村」で渋川は父が初代柿右衛門が赤絵のインスピレーションを得たといわれる庭の柿の木を示しても、作品の陳列所にいっても、有田の町を回って疲れていてか、いい加減に見て回ったと告白する。
もうそろそろおわりに近くなったところで、桐の箱に入った大きな鉢がふと私の目に留まった。直径七、八寸ばかりと思われる。惜しいことに鉢は二つに割れて、それを細い金具で継ぎあわせてあり、しかもその継目が垢に汚れて黒くなっている。 しかしその鉢の上に現れた絵のうつくしさが私の心を強くとらへたのだ。
父からよく柿右衛門のことを聞かされていたが、実物を見たこともなく、人がさわぐほどのことはあるまいと思い、むしろ柿の色を見ているうちに赤の色に成功したという芝居じみた話が「微かに反感をそそっていた」という渋川は、初期「柿右衛門」の鉢と出会い、先入観を砕かれ、自身の軽薄さを恥じる。
この絵の中には、私はそのような芝居じみた精神を微塵も観ることができなかった。ここには作者の全精神が凝集して、一つの情熱として迫ってくるものがある。私は今美しさといった。しかしこの魅力は、美しさといふだけでは嘘になりさうである。美しいけれども、ただ美しいだけではない。私たちの魂を呼びさます凛としたものがある。しかもこれを押し付けがましく訴へて来るのではなく、謙虚の中に静かな感動をこめておしせまってくるのだ。
この時以来、渋川は「柿右衛門」の作品をみてまわるようになる。そして自分が身を置く文学の世界においても、「高い作品ほど同人雑誌的な色彩を帯びるもので、素人くさい香りを感じられない限り芸術の真実は探れない」と考えるように、「柿右衛門」の魅力も「素人芸の中に美の境地を見出している」所にあるという。
柿右衛門が決して玄人芸を喜ばずして、素人芸の中に美の境地を見出していたといふ事である。 勿論その技術、技巧は古今いづれの人も及ばないほどのものであったに違ひない。しかし彼はそれをいかにも誇らしげに作品の中には示さなかった。ともすれば逸り立たうとする才気をぐつと押しこらへている。それを何よりも控え目な構図の中に見て取ることができる。しかしその観る者に与へる緊張さ、強靭さは何といふ驚きであらう。絵も一つ一つをとりあげて見るとかなり稚拙感がないでもない。しかしそれが全体として見る時その稚拙さが充分な意味をもって素朴な味わいを出しているのである。
当主の弟さんの案内で見学した工場では職人さんが静寂の中で仕事をしている。庭にはキズ物の陶器類がゴロゴロ転んでいる。それらを玩具にしてこの家の子どもたちが土いじりをしているとある。昭和15年の訪問であることを考えると子供たちとは十四代、その姉妹、従兄弟たちだったのではないか。
柿右衛門窯では毎日職人さんたちが工場の掃除をしてから仕事を始めるという。400年の重い伝統を背負っている職人さんたちは自然体で、ものを作る喜びに満ちている。やさしく、優雅で清楚な現代の「柿右衛門」がここで作られていることに納得する。
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柿右衛門の沈黙』 茂木健一郎 (「文明の星時間」毎日新聞社 2010
柿右衛門の村』渋川 (「鳴龍」 肇書房 1944
渋川19051993)福岡市出身。1974宇野浩二論』で芸術選奨1983年長編小説『出港』で平林たい子文学賞受賞。代表作『龍源寺』。