高価な骨董 (2)

 

 江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌などを紹介する。


 
 
明治の頃、女中にとって主人愛蔵の逸品の柿右衛門は、割ってしまったら命で償わなければならないほどのものだった。坂口安吾の「明治開化 安吾捕物帖」の『稲妻は見たり』では農林省の役人母里大学邸で、床の間に飾ってあった中国の青磁柿右衛門の皿が割れていて、女中三枝子が行方不明になる。
 

座敷の床の間の青磁の花瓶と、飾り物の大きな皿が、二ツながら割れている。皿の方は柿右衛門の作とか、青磁支那の逸品とかで、母里大学という人は陶磁器に趣味がありその所蔵品には相当逸品があるそうだが、この二ツは特に彼の愛蔵の自慢品で、女中たちはその取扱いにはかねて特別の注意を厳命されていた。自分が割ったのではないのに、それを見ただけでオソノは真ッ蒼になってしまった。おどろいてラクにしらせる。二人は顔を見合せたままゾッと立ちすくんでしばし言葉もなかったが、家宝の品物の破損、三枝子の行方、それまで実際の不安となるに至らなかった三枝子の行方不明が、にわかに決定的な怖しい事実として迫ってきた。
 あの裏庭の井戸の中へ何か落ちたらしい音。
 日本人には誰しもピンとくる筈であろうが、女中という身分の者には特に身につまされることでもあろう。特にそれが貴重な瀬戸物であれば、ケースは全く同じではないか。番町皿屋敷
 ピンときて、ゾッとして、以心伝心、蒼ざめて立ちすくんで、とても言葉には語り得ず、語らなくともピンピン分り合う二人であったが、馬丁の当吉は男のことで、
「なア、オイ。ゆうべオレが小屋へもどって、さて、寝ようというときに、ボシャーンという大きな音がしたなア。たしかに裏庭の井戸だと思うが、まさか……」

 
母里家の使用人たちは、江戸を舞台にした怪談話「番町皿屋敷」と重ね、行方不明になってしまった三枝子の命をかけての償いを恐れる。なぜかこの捕物帖に登場する勝海舟も「召使いが主家の秘蔵の瀬戸物を割れば誰しも思いつくのは皿屋敷にきまッてらアな。」と推理を進める。
「番町皿屋敷」は牛込御門内五番町の青山播磨守主膳の屋敷に奉公していた下女菊が主人が大事にしていた揃いの皿十枚のうちの1枚を割ってしまい咎められ、古井戸に身を投げ亡霊になって祟りを起こす怪談。歌舞伎や講談、落語で語られ、主家の大切な焼きものを割ってしまった使用人は命で償うものと広く一般に固定観念ができていた。この庶民の思いこみを利用した母里家の放蕩息子の悪事を、当時日本一と誉れたかい探偵結城新十郎が暴き、事件を解決する。
 
『明治開化 安吾捕物帖』を原案としたアニメ「UN-GO」が201110月から12月にフジテレビ系列局で放送された。「稲妻は見たり」は含まれなかった。
 
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古美術商が旅先で立ち寄った茶店柿右衛門の皿を猫の餌入れにしているのを見つけ、猫を買い、高価な骨董の皿も一緒に騙し取ろうとする落語『猫の皿』は、人気のある演目だ。猫を買い、猫は皿が変わると餌付かないと言い皿も一緒に持っていこうとするが、茶店の主人の方が一枚上手で、皿は譲らず猫を高値で売り付ける話。現在はほとんどの落語家が柿右衛門の皿ではなく高麗の梅鉢とした版を語っている。
面白亭失笑が平成二十二年10歳の時、柿右衛門バージョンを語っている映像がYouube で公開されている。失笑は初代柿右衛門作の皿と語っている。落語の台本が活字になった資料は少なく、柿右衛門の皿版は確認できていない。
 
伊東芳涯は『東西百傑伝』の陶工柿右衛門伝で落語が下敷きとした江戸後期の笑い話を紹介している。
 
民間でも、陶磁器は非常に愛好されたもので、文化文政頃の話に、京都近くの建場茶屋で、江戸者2人が昼食をとつていると、その家の飼猫が、青華磁器の皿で、飯を与えられている。江戸者は少し陶磁が判るので、何とか騙して、その皿が巻き上げたくなつた。
そこで「その猫を銀二分で譲ってくれないか」と、相談を持ちかけた。茶屋のばばが「二分ならお譲りしよう」と承知すると、金を出して「猫は皿が変ると餌付かないから、この皿も貰って行くよ」と、手を掛けた。ばばがあわてて「とんでもない。その皿をあげてしまつたら、明日からノラ猫が二分に売れなくなります」、と断ったという笑話がある。
これほどに陶器愛好熱は、上下に行渡つていたのだつた。
 
青華磁器の皿を落語ではよりはっきりとしたイメージが浮かぶ柿右衛門の皿とした。青華磁器とは初代柿右衛門が高原五郎七の指導を受け、1620年代半ばに作ることに成功したとする染付白磁
 
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井伏鱒二「失礼な挿話―蔵原伸二郎の横顔」という随筆がある。井伏は詩人蔵原伸二郎がにしきでの油壺を入れる「それらしい箱」を買ってきて、ふたに「柿右衛門作」と書き、古く見えるようにつばを付けこすっている、と骨董好きの蔵原の変な楽しみを暴露する。
蔵原(1899-1965)は詩集「岩魚」で1965読売文学賞詩歌俳句賞を受賞した詩人。父は熊本県阿蘇神社の直系の神官、母は北里柴三郎の妹で、九州の焼き物は身近な宝物であった。慶應大学仏文科卒業で、同級に石坂洋二郎がいた。
 
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『稲妻は見たり』坂口安吾(「続 明治開化 安吾捕物帖」角川文庫 2012
坂口安吾全集10筑摩書房1998

『失礼な挿話―蔵原伸二郎の横顔』井伏鱒二 (「井伏鱒二全集第一巻」筑摩書房 1996)

『陶工柿右衛門伊東芳涯(「東西百傑伝」池田書店1950)