色絵象とグローバル経済の夜明け

 

 
 

 江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白 色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞とも いえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボル など、人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩 歌などを紹介する。


 
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2010年、英国BBCラジオ4は大英博物館のコレクションの中から歴史的遺物や道具、美術作品等100点を選び、これら「人類が作ったモノ」を通して世界の歴史を辿るシリーズ番組  “A History of the World in 100 Objects” (「100のモノが語る世界の歴史」)を放送した。1回15分の放送は、所蔵品1点にスポットライトを当て、歴史の流れの中でどのように生まれ、必然的役割を演じたかを検証するものだった。
柿右衛門の一対の色絵磁器象は、第16部  最初のグローバル経済 1450-1650 Part 16  The   First Global Economy 1450-1650Episode 79:  Kakiemon elephants)で取り上げられ、17世紀に、ヨーロッパとアジアを舞台に展開された世界最初の地球規模の経済活動の中で演じた役割が語られた。
ちょうど後の時代に日本のトランジスター・ラジオや小型自動車ウォークマンがそうであったように、色絵磁器は憧れの的であり、大量に取引され、その存在が世界の国々を繋いだ。
日常生活の中の質素な実用品から偉大な芸術作品までを網羅し、権力者側の視点の歴史ではなく、「人類の経験のなるべく多くの側面」を見ていくという番組の趣旨から、100点の「モノ」は、200万年前人類が道具を使い始めてから現在まで、地域的にも時代的にも偏ることなく、1つの史実を示すものというより、歴史に参加し、歴史を目撃した「モノ」だった。日本関係では他に、土偶、銅鏡、北斎の版画「冨嶽三十六景神奈川沖浪裏」が登場した。
 
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大英博物館柿右衛門の二頭の色絵象は「ヨークシャー・テリア程の大きさ」で、長い鼻と牙をもち、乳白色の磁器の体には鮮やかな色絵の模様が描かれている。足には紅いパッチ模様、背中から頭、耳にかけてはハーネスを表す青の連続模様で飾られ、インド象のような大きな耳の内側は黄色で赤い縁取りがある。黒い瞳の切れ長の日本人の目をもつ。象は十七世紀の後半に船でヨーロッパに渡った。 
BBCの番組はこの生き生きした表情を持つ楽しげな磁器の白い象は「十七世紀の中国、日本、朝鮮の三国間の闘争、そして近代多国籍貿易会社の誕生という意外なストーリーを秘めている」と指摘し、その歴史を辿る。 
十六世紀末、豊臣秀吉が中国征服の野望をいだき、その前哨戦として朝鮮へ出兵した「文禄、慶長の役」の際、西日本の大名は多くの朝鮮陶工を連れ帰った。その一人李参平により十七世紀初頭、有田(佐賀県有田町泉山)で磁石鉱が発見され、日本で初めて磁器が焼かれた。中国から伝えられた磁器焼成の技術を持つ彼ら朝鮮の陶工が有田での磁器創成を牽引した。1643年頃初代酒井田柿右衛門1596-1666)が中国の技術を基に赤絵付に成功、1670年頃までに明るい色調の余白を生かした絵付、乳白色の素地濁手が特徴の柿右衛門様式を確立する。この新しいスタイルの色絵磁器はヨーロッパの人々を魅了し、大量に輸出された。 
象の制作者、窯の経営者であり陶工の初代柿右衛門の直系の子孫、十四代柿右衛門大英博物館の象は大変珍しいものであり、自身も小さな象をひとつ持っているといい、柿右衛門様式について語る。
 
柿右衛門家はほぼ400年、柿右衛門様式の色絵磁器を作り続けています。有田近辺には何千年もの間に風化し、自然の中で酸化した磁石が豊富にあります。私の家は江戸時代から変わらずこの自然の原材料を使っています。
……象の作品の素地は濁手と言います。濁手は有田で開発された特有のもので、私どもはその技術が途絶えないよう努力を重ねています。濁手は純粋な白ではなく、温かい、乳白色をしています。濁手は江戸時代の柿右衛門様式の磁器の原点といえます。
私は昔からの道具を使い作品を作り、伝統の技術を守っています。多くの日本の陶工もはやはり同じように古い道具を使い、伝統の技術を守っています。日本には独自の美意識があり、それを失わないようにしています。私がただ昔通りに作品を作っていると思われる方もいらっしゃるでしょうが、私は伝統を継承した現代の美術と考えます。(筆者訳)
 
韓国の学者ジナ・ハ‐ゴーランは柿右衛門の象は、「朝鮮の白磁製造の技術、中国の装飾技術、日本の美意識が統合して生まれたもの」と語る。 
番組は「柿右衛門の祖先の作った色彩豊かな色絵磁器の動物は溌剌として美しく、モダンな要素と伝統を併せ持っています。それは東アジアの悲惨な戦争、熾烈な国際貿易の副産物でもある」と、指摘する。 
十五世紀中頃からヨーロッパの人々は世界に向け船出し、アフリカ西部沿岸を下りインド洋に出てアジアに、又、大西洋をまたいでアメリカに至る航路を開拓し、ヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸を繋いだ。オランダ東インド会社が極東からヨーロッパ市場に物資を運んだ。東洋の品、特に中国の青花磁器への熱狂が繰り広げられる中、1644年の明王朝が崩壊する政治的混乱で磁器生産は中断され、ヨーロッパの需要を満たせなくなり、日本磁器がこれを引き継いだ。
 
[色絵の象は]ヨーロッパではそれまで見たこともないようなものでした。極東から来たものです。象との出会いは、新鮮な、胸を躍らせる、おそらくとてもモダンな経験だったのでしょう。ヨーロッパ風に仕上げようとしたのでしょうが、日本美術の趣を失っていません。(筆者訳)
 
柿右衛門様式の動物像の最も古い、良質のコレクションと言われるバーリー・ハウス・コレクションを持つエクゼター家の当主ミランダ・ロックはヨーロッパ人と象との衝撃的な出会いを語る。エクゼター家の1688年の財産目録に磁器象(大英博物館のものとは異なり、鼻を上に揚げたポーズをとる)はじめ、多くの柿右衛門様式の動物像の所蔵を確認できる。
 
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柿右衛門様式の動物や鳥をモチーフにした置物や器は、十七世紀のヨーロッパの館を飾った。1659東インド会社より有田皿山に磁器万五千個以上の注文があった記録が残り、このころから飛躍的に輸出量が増大した。大英博物館の白い象はこれらの輸出品と共に海を渡った。
この時代の日本は鎖国体制を敷き、外国との接触を厳しい管理下に置き、朝鮮と中国、そして唯一のヨーロッパのパートナーとして、オランダ東インド会社のみに商業活動を許可していた。独占供給元のオランダ東インド会社は大量の日本磁器をヨーロッパに運び、高い値を付け巨大な利益をあげるとともに、産地と注文主を仲介し日本の磁器生産を推進した。世界最初の多国籍企業である東インド会社は、半世紀にわたり世界の商業を独占した。
ミランダ・ロックはバーリー・ハウスにある磁器コレクションの高い質、膨大な量、当時の最新の流行のもの蒐集を考えると、コレクションを築いた伯爵家五代目ジョンが密接に接触をとっていた、機敏で洞察力のある美術商がいたことを示すと指摘する。
ヨーロッパの趣向に呼応た柿右衛門様式の磁器の生産は拡大し、ヨーロッパの人々は暖かい色調の柿右衛門様式の磁器を競って購入した。
日本の色絵磁器に刺激されたヨーロッパの窯業は18世紀までにドイツ、イギリス、フランス等で磁器焼成に成功し、現地産の「柿右衛門」を作り始めた。
 
大英博物館所蔵の柿右衛門の色絵象は十七世紀の世界を舞台にしたひとつの物語を語る。鎖国政策により外国との交流を制限されていた日本の陶工が、中国と朝鮮からもたらされた技術を完成し、インドに生息する動物の色絵象を、オランダの世界最初の地球規模の貿易会社を仲介役に、英国の買い手の好みに合わせて作りだした。(筆者訳)
 
番組は「柿右衛門の象は、どのようにヨーロッパ大陸とアジア大陸が、はじめて海を跨いだ貿易によって繋がったかを語るよい例である」と締めくくる。
 
柿右衛門の象はグローバル経済の夜明けを象徴する。
 
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大英博物館館長ニール・マクレガー著の番組のトランスクリプト(筆記録)は、100点の収蔵品の美しいカラー写真付きの本にまとめられ、世界のベストセラーとなった。
“A History of the World in 100 Objects” Neil MacGregor
(Viking 2011)
  番組(2010 9月放送)の録音はBBCのウエブサイトで聴取できる。トランスクリプト、100点の収蔵品の写真も掲載されている。
 
『100のモノが語る世界の歴史』ニール・マクレガー、東郷えりか訳(筑摩書房
2012翻訳版は三巻からなり、「柿右衛門の象」は第三巻「近代への道」に収録されてい。
 
参考文献:『宮廷の陶磁器:ヨーロッパを魅了した日本の芸術 1650-1750』英国東洋陶磁学会編 西田宏子、弓場紀知監訳 (同朋舎出版 1994)