理想郷


江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌などを紹介する。
 
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ニ羽の鶉がたわわに実のついた粟の下にいる。傍らには可憐な萩が咲いている。虎が竹林の中で戯れる。青い鳥が竹にとまり、枝が大きくたわむ。その下に八重の紅梅が咲き、松が枝を広げる。吉祥の鳥、鳳凰が飛び、皇室や足利幕府などが家紋として使っためでたい桐の花が咲く。動物と植物、鶏、鶉、りす、小鳥、蝶、魚が共棲する平和な小さな世界。
 
柿右衛門の色絵は柔らかい、伸びやかな筆使いで描かれる。藍色の葉、赤い虎や亀、現実とは異なる色を使う。十四代酒井田柿右衛門さんは、絵とデザインの中間の表現と言う。優しい色絵は乳白色の濁手の胎の上に余白を充分とって描かれる。ここに人々は理想郷を見、たっぷりした余白は自分を受け入れてくれるやさしい空間のように感じる。
 
 
アメリカの作家ニコルソン・ベイカーの短編小説「柿右衛門の器」の主人公の老婦人パーチ夫人も、柿右衛門様式の色絵の器に理想郷を見つけ、自身の遺骨を混ぜた土で色絵の器を焼いてほしいと、可愛がっていた大姪のルーシーに遺言した。初期の英国磁器を愛するパーチ夫人は、鶉の意匠のソース入れを指で触り「牛を感じる」ことができるから、銘は入っていないが、ボウ窯の物という。 器を触って牛の温かさや生命を感じられるものを本物、いいものと鑑定している。イギリスの古窯ボウは焼いて粉状にした牛の骨を磁器の素地に大量に混ぜる手法を取り入れ白い胎を作った。
 
ルーシーは子供のころ、毎年夏になると、この大伯母さん、パーチ夫人コネチカットの家に遊びに行った。
 
 
 
ルーシーがいつも泊る客間のドレッサーの上には、丸々と太った二羽の小鳥と、斜めにかしいだ青い木、燃えるように紅い亀の絵の描かれた柿右衛門様式のおおきな舟形のソース入れが飾ってあった。図案を模写したイギリスの絵付け職人は、この鳥を[少し大きめの灰青の羽衣を持つヨーロッパ]ヤマウズラだと思って描いたが、本当は[日本]ウズラだった。ここに泊るたび、ルーシーはこのソース入れを飽きずにながめた。
 
 
 
ルーシーはある夏、大伯母さんから誕生日のプレゼントとしてもらった水彩絵具でソースボウルの絵をまねして描いてみた。大伯母さんはルーシーの絵を見て、磁器の絵付師の才能があるわ」、と褒めてくれた。大学に入ったルーシーは、陶芸クラスを取り、動物の骨粉を粘土に混ぜたりして作品を作った。大伯母さんは上手にできていると褒めてくれるのだが、「牛を感じない」という。 知り合いの牧場で死んだ牛の骨をもらい、土に混ぜて作った作品に触れた時、大伯母さんは初めて「牛を感じる」と喜んだ。
 
パーチ夫人は自分の骨を入れた土で、柿右衛門様式の鶉の意匠を絵付をした器を作ってほしいと遺言を残した。柿右衛門様式の色絵の中に彼女自身の平穏な居場所、天国をみつけたのであろう。
 
ルーシーは「彼女はそういう形で生きつづけたいのよ。それを異常だって言う人の方が異常なんだわ」と言うのだった。
 
 
 
二年後に行われた[ルーシーの]結婚披露宴で、飲み物のテーブルの上には柿右衛門様式の大きなパンチボウルが置かれていた。飲み物がすくい出されて客たちに配られるにつれ、内側の絵柄が少しずつ姿をあらわした――丸々と太った二羽の小鳥、斜めにかしいだ木、そして燃えるように紅い亀。
 
「それからわたしたちは、二人を最初に出会わせてくれたパーチ大伯母にも心から感謝を捧げます。」ルーシーは乾杯のスピーチでそう言った。「きっと大伯母さんもこの場にいたかっただろうと思います。だからわたしは、優しくて、気品があって、初期の英国磁器に造詣の深かった彼女の思い出に乾杯したいと思います。大伯母さんに!」 全員がグラスを上げ、乾杯した。パンチボウルに浮かんでいた大きなドーナツ型の氷が、ふいにカチンと鳴った。
 
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佐賀市にある佐賀県庁の新行政棟のホールには十四代酒井田柿右衛門作の三枚の陶壁画が飾られている。
 
向って右に藤の花、左に枝垂桜。中央(写真・上)は鳳凰が飛び、つがい鳥が太湖石に止まり、草花が乱れ咲く生命感溢れる生物の平和な共棲の世界が、「柿右衛門」の伝統的モチーフで表現されている。明るい赤、暖かい黄、澄んだ青、優しい濁手が、楽園のイメージを醸し出している。
 
向かい側には十三代今泉今右衛門の青が基調の「色絵吹墨珠樹文様」の陶壁画がある。
 
 
 
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京都西本願寺の経蔵、内陣の腰瓦として312枚の柿右衛門様式の色絵磁器タイルが使われている。 赤で縁取られた白地の円窓に鳥のように羽を広げた応龍と、長い胴を円状にした団龍が描かれ、黄地に牡丹唐草が周囲を囲む二種の陶板(高.4.9cm、縦・24.9cmめぐり、横・24.1cm)が三段で連鎖して四方をめぐり貼られている。極楽に導く経典の蔵にふさわしい華やかな装飾だ。
 
経蔵は1677十四寂如(16511725)が父十三世良如の17回忌に当たり建立した。
 
経蔵は一切経大蔵経)」を納めるもので、内部に、書棚をもった八角形の回転する堂があるため「転輪蔵」と呼ばれる。 
 
上野の東京国立博物館所蔵の「色絵応龍文陶板」(4.9、縦24.9、横24.1)は転輪蔵内の腰瓦にはめ込まれた陶板と同じものだ。応龍は中国の伝説の中にあらわれる翼を持つ怪物で、風雨を司る神として人々に恩恵を与えた。大切なお経を火災や水害、ネズミから守るようにと願いを込めたのだろうといわれる。
 
制作年代の明らかな作品の少ない柿右衛門のなかで、下限(経蔵建立年)を推定できる貴重な資料といわれている。陶板の裏には「松浦郡有田皿山・土肥源左衛門造之」と書かれ、柿右衛門家同門の土肥家(源左衛門は、三代、柿右衛門の墓碑の施主)が受注したものを柿右衛門窯、あるいは傍系の窯で焼成されたのであろうといわれている。国立博物館のタイルには、腰瓦の構造上の理由からか、裏に同サイズのタイル二枚が貼り付けられている。
 
 
 
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柿右衛門の器」 ニコルソン・ベイカー (『変愛小説集』 岸本佐知子訳 講談社2008
 
原作:“China Pattern  Nicholson Baker The New Yorker 1997 Feb.3号)