ギャラリーフェイク


 江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、
人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌、美術などを紹介する。
 
 贋作を専門に扱う画廊、「ギャラリーフェイク」の経営者藤田玲司が活躍する細野不二彦原作の人気漫画『ギャラリーフェイク』に伊万里焼、柿右衛門が登場する。
ギャラリーフェイク」は表向きは贋作専門のギャラリーだが、裏では美術館の横流し品、盗品などいわくつきの真物を扱う。藤田は元メトロポリタン美術館の優秀な学芸員で古今東西の絵画、彫刻、工芸、骨董等、美術に関する知識は広く、かつ深い。作品の鑑定、見る眼は確かで、修復の技術は超一流との定評がある。
藤田は真の美を解する者、真に美に対して心を開いている者とは、儲けを度外視した商売をする一方、美術界の裏に潜む虚飾や悪事、不正に挑む。
 
「芸術はひたすら愛好する時のみ、その全き姿を現す」
ユニークな美術館ガイド『ギャラリーフェイク美術館』(小学館2005)の共著者府中美術館館長井出洋一郎は『ギャラリーフェイク』全巻の訴えることはこれただ一つと監修者後序に記す。
 
ギャラリーフェイク』は「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に1992年から2005年に掲載され、人気が高かった。1995年、第41回小学館漫画賞を受賞。細野の代表作は『さすがの猿飛』、『太郎』、『商人道(あきんどう)』等。『ヒメタク』(「漫画アクション」)、『いちまつ捕物帳 』(「ビッグコミック」)を現在連載中。 
 
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 このシリーズに「欠けた柿右衛門」という一話がある。
特別養護老人ホームに心臓の病を抱え入所している田上老人は、ホームの職員の目を盗んで愛用の柿右衛門の猪口で酒を飲み至福の時を過ごす。或る日若いヘルパー、エリカに見つかり止められると、
 
でもなぁ……この猪口でさァ、
ぐーーっと一杯やるのがたまらんのよ!めったにお目にかかれねえシロモノだぞ!
江戸時代の柿右衛門だ。わしのお宝よ。 
 
猪口は八角の輪花で、縦長の胴部八面に数種の可憐な草花文が描かれている。江戸時代の柿右衛門で田上老人の自慢の物だ。ある晩この猪口で一杯やっているとき、発作を起こして病院に運ばれる。この時猪口を落として欠いてしまった。田上老人は猪口が気になり、優しく接してくれるエリカに、猪口を修理に出して欲しいと頼む。
 
 
老人ホームで身寄りのない入居者が遺産を残した場合、ホームに託されることがある。その中に高価な骨董や美術品もある。ここはこれらを売り運営基金に充てないとやっていけないホームなのだ。ホームに時々フジタが顔を出すのを田上老人は見ていた。 
 
アレはめったな人間にはいじらせたくない。
そこで思い出したのが、いつかホームで見た男じゃ!
間違いなく、ギャラリーフェイクのフジタ……
美術品修復の腕は超一流という評判だ。
お願いじゃ…… エリカさん。
フジタに猪口を修理してもらってくれぃ!!
 
エリカはギャラリーフェイクを訪ね修理を頼むが、フジタは猪口をニセモノといった上に修理費は三十万円という。エリカは躊躇するが、田上老人の達ての願いなので自分の貯金を下ろして払うことにし、急いで修理を頼む。修理された柿右衛門は田上老人のもとに戻るが、老人は掌にのせたまま逝ってしまう。
田上老人は身よりがなく、猪口はフジタが買う。エリカにはニセモノと偽ったが、画面のフジタがホームの所長に渡した札束の包みは分厚く、元禄時代柿右衛門に見合う代金で買い取ったことがうかがえる。
フジタは所長に代金の中から三十万円を、偽物と信じきっているが、老人の頼みをかなえる為自腹を切って大金を払ったヘルパーの娘に返すよう伝える。
フジタがエリカに柿右衛門を解説する場面には、代表的な作品、柴垣のある松竹梅鳥文の皿、草花文八角深鉢、瓢箪型の瓶、碁盤に座る童子、虎の置物、元禄柿と銘のある皿が丁寧に描かれている。
 
ギャラリーフェイク』は実在の美術品、芸術家や実際のエピソードを取り入れて、美術に関する基本的な背景が簡潔に語られる。美術愛好家も美術に詳しくない者も等しく楽しめる。 古今東西の美術、骨董と共に、柿右衛門古伊万里、古九谷、萩、黄瀬戸、井戸、高麗青磁李朝白磁南宋哥窯青磁等陶磁器が登場する。
 フジタは表向き偽物を扱うギャラリーの経営者で悪徳美術商と評判されているが、真物を愛し、裏では相応しい人と相応しい値段で取引する。 絵画を心から楽しむ、元農夫でアパートの大家の老人に本物のモネの絵を5万円で売ることもいとわない。
 
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江戸時代、有田焼はオランダや中国の船で大量に東南アジア、中東、ヨーロッパに輸出された。インドネシア等に運ばれた有田焼は当時インド洋を制していたアラビア商人によりさらにケニア東海岸に運ばれた。有田焼はその積出港の名から伊万里焼と呼ばれていた。 
 
伊万里の道」と題する一話は、アフリカに運ばれた伊万里焼が登場する。
バブル紳士泡田はギャラリーフェイクの上得意だったのだが、バブルがはじけ事業に失敗し莫大は負債を背負い、返済の為マグロ漁船に乗り働いていたがアフリカで行方不明になっていた。困窮する日本の家族に、アフリカの泡田から数年ぶりに荷物が送られてきた。荷物は本物の古伊万里の大皿で、フジタに買い取ってもらうようにと、手紙がついていた。そこには「オレはとんでもない宝の山を手にした。もう借金に苦しむ必要はないんだ」と書かれていた。
本物の古伊万里がアフリカにあることを知るフジタは、その宝の山と泡田を探しにモンバサに行き、ジャングルの中に埋まったモスクの廃墟を発見した。その内壁には見事な古伊万里の皿群が埋め込まれている。泡田はしかし、ここでエボラ出血熱におかされていた。
 
インド洋に面したケニアの南部の港町モンバサはアラビア語で戦いの島という意味でポルトガルとアラビア商人が戦っていたが、15世紀にはアラビア商人がこの地を制していた。町のオールドタウンにはアラベスク模様の建物、モスク、ヒンズー寺院があり、インド、アラブ、ポルトガル系の人々が生活している。
モンバサの北のゲティの海辺のジャングルの中の遺跡には焼物を埋め込んだくぼみが壁に残るモスクの廃墟がある。陶磁器はすでに抜き取られている。ゲティの北25キロのマンブルイの16世紀のアラビア人の柱墓に明の染付が埋め込まれている。
 
三上次男(『陶磁の道』)によるとソマリアからタンザニアに至るアフリカの海岸地帯のアラビア人の社会では宮殿やモスクの壁、柱状の墓に中国の陶磁器を埋め込む風習があった。陶磁を壁面に埋め込む装飾法は中近東の装飾タイルを起源とする。
 
モンバサの元ポルトガルの砦、フォート・ジーザースにある博物館には古伊万里の大壺がある。このことから当地に古伊万里も大量に輸入されたことが窺える。 
泡田は古伊万里が埋め込まれたモスクを発見したのだ。 
 
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フジタの助手サラ・ハリファは中東の王族の娘で、戦争で両親を失い知人を頼って日本に来た。サラは莫大な資産を持ち高級ホテルに住む。
「箪笥の中に」ではサラが軽井沢に東京庭園美術館のレプリカでアール・デコ様式の別荘を買ったことから事件が起こる。旧軽井沢の骨董品店でフジタはさすが高級別荘地と思わせる骨董陶磁器の名品の数々を見る。サラはこの店で和箪笥ファンに人気の岩手の車箪笥を買う。
 隣に住む老婦人は二人を骨董好きとみて近付き、「箪笥の上に置いたらとても映えると思うの」と言い、サラに古伊万里の大皿をプレゼントする。老婦人はサラに言う。
 
「いいものにはいいものを組み合わせてあげないと、よさがダメになってしまうのよ。」
「だから、あのタンスにはいいもの――大切なものを、入れてあげてちょうだいね。」 
 
 食事に招待された二人は骨董の名品でもてなされるが、フジタはそれらが別荘地で盗まれた盗品リストに乗っているものと気付く。老婦人が別荘荒しと気付いてフジタは商売を持ちかけるが、すでに薬を盛られ眠ってしまう。老婦人はサラの別荘に忍び込み、フジタに偽物といわれた古伊万里の皿を割り、箪笥に入れてあったフジタの財布を盗み消える。
 
別荘荒しの老婦人は沖縄に逃げ、又獲物を探す。
 
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ギャラリーフェイク」は2005年に完結したが、東日本大震災からの復興支援プロジェクトとして2013年出版された『ヒーローズ・カムバック』で特別篇として再登場した。『ヒーローズ・カムバック』は細野不二彦の呼びかけに答え、有志のマンガ家が描いた作品を一冊の本にまとめたもので、経費を除いた収益と印税を被災した子供たちの支援団体に寄付する試みだ。細野の他、『犬夜叉』の高橋留美子、『うしおととら』の藤田和日郎等が参加し、其々のヒーローを召喚した。
 
2011311日、フジタは商談で宮城県K市にきていた。旅館が津波に流される中、高台に逃れ、二週間避難所暮らしをした。震災から三カ月、大災害で津波の塩水をかぶったり、破損し失われようとしている文化財を救い出し、修復して後世に残す活動が歴史保全NPO 法人により始まった。
このNPOの活動は東北大学平川新教授率いる宮城歴史資料保全ネットワークの被災地での活動をモデルにしている。
フジタも文化財の救出ボランティアに参加しようと再びK市を訪れたが、フジタの評判を知る責任者の教授に参加を断られてしまう。
 被災地ではどさくさに紛れ、骨董商やハタ師がうろつき回り、名家の蔵に眠る高価な骨董や古文書を二束三文で買い漁っていた。フジタも同類と疑われたのだ。
フジタは高台の寺で独自に活動を始め、ガレキの中から掛け軸等文化財を見つけ修復し、写真や人形等思い出の品を洗浄し持ち主を探した。
 骨董商たちのあくどい商売を苦々しく思うフジタは彼らを懲らしめようと、文化財レスキューの責任者の教授に協力を求め、一芝居打つ。
 教授に旧家の当主を演じてもらい、フジタが自分で持ってきた偽の安物古九谷の大平鉢を旧家に眠っていたお宝として買い取り交渉をしている。この旧家のお宝を狙う悪徳ハタ師は、目利きといわれるフジタが「これほどの逸品」、「800万、いや1千万円出してもいい‼」と言い、執着しているのだから掘り出し物なのだと考え、割り込み、競り合うことになる。2千万、3千万、3千6百万と競り合い、ハタ師が5千万の値をつけた。ここでフジタは「ダメだ。そんなには出せない」と言いながら教授にOKサインを出す。教授はハタ師に「あなたにお譲りしましょう!」と言う。
ハタ師は「サイコ-にいい気分っ! へっへっへっ! こーんな掘り出し物をひろった上に、あの高慢ちきなフジタをへこませてやれたんだから♬」と大鉢を持ち有頂天で帰っていく。
 
フジタは「…… あんな偽物に大枚はたいて。もう当分買いつけもできまい」と見送る。
フジタはあっ気にとられている教授に、被災者の見舞金にと売上金を託す。
 
細野は2014年6月の日本マンガ学会第14回大会のシンポジウム「マンガと震災」の 第一部「マンガ家の支援活動」で被災地を舞台にした特別編に込めた思いを語っている。(「マンガ研究」Vol.21 2015. 日本マンガ学会
 
やはり実際にあったこととして、震災の被災者の方のうちへ行って詐欺行為をしていることがあるという話は伺っていました。それは実際に事実としてあったのでしょうけれども、それに対する怒りがありまして、話はフィクションですが、それに自分の中で制裁をくらわしてやりたいというような気持ちがあって、フィクションとして作ってもよいだろうなと、自分の中での縛りというか、ここまではやってもいいのではないかと思って描きました。
 
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「箪笥の中に」細野不二彦 (『ギャラリーフェイク19 2000 小学館
『海を渡った古伊万里 セラミックロード』 文・上野武、写真・白谷達也朝日新聞社 1986
☆『ギャラリーフェイク』は1992年から2005年まで「週刊ビッグコミックスピリッツ」に連載された。32巻の単行本と23巻の文庫本として小学館から刊行されている。 Kindle 版もある。
2005年にテレビアニメ化され放映された。