オリエント急行にも“ボタン”が落ちていた


江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌、美術などを紹介する。

 


 
 十四代酒井田柿右衛門JR九州の豪華寝台列車ななつ星」の客室に備える洗面鉢、テーブルランプ、花瓶等の調度品の他、蜂の巣やボタンのオブジェを創った。
焼成前の乳白色の洗面鉢、花瓶、瓢箪型水筒等実用品の他、蜂の巣、手ぬぐいで頬かむりした泥棒(?)型の文鎮、扇形の皿等々、柿右衛門窯の細工場のテーブルの上に並んでいる。2014年四月、NHKで放送されたドキュメンタリー「有田焼・人間国宝 最後の挑戦~密着・豪華列車知られざる舞台裏~」のワンシーンだ。
柿右衛門は、「見せたいものがある」と「ななつ星」のデザイナー水戸岡鋭治を案内する。
これらは窯に残る昔の型から作られたもので、かつて柿右衛門窯ではこういう焼物を多く作っていたという。
「見る人を楽しませる、小さな品々に込められた遊び心を現代によみがえらせたいと十四代柿右衛門さんが提案して作った作品」とナレーションが入る。
水戸岡はハチが止まっている蜂の巣と小さなボタンに格別の興味を示していた。柿右衛門は昔の品々に加え、今回新しく洋服のボタンのオブジェを創った。ボタンは車両の床にはめ込み、こんなところにボタンが落ちていたと思わせ、蜂の巣は天井に取り付けあんな所に蜂の巣があると驚かせるという趣向だという。
 
「ボタンを落としたかな、落ちるわけないけどな。そういう遊びっていうか、楽しみっていうか、お客様にニコッと笑っていただければ、それでいいと思うんです」
 
柿右衛門は語っている。
水戸岡は「懐かしさと新しさが未来を創る」をコンセプトにした「ななつ星」に、遊びの象徴として遺作(十四代柿右衛門は2013年6月15日逝去)の濁手のボタンを額装し、ラウンジの壁に飾った。「人と人をちゃんと結ぶボタン、かけはしですよね。」「にこっとしてくれればうれしいね」と語る。
蜂の巣も額装されラウンジに飾られている。
ななつ星」ツアーは2013年10月15日に運航を開始した。
 
 ななつ星」のクラッシカルな姿、豪華な客室やラウンジ、寝台特急の旅は、アジアとヨーロッパを結んだ寝台特急オリエント急行と重なり、アガサ・クリスティー18901976)の『オリエント急行殺人事件』へと連想は繋がる。
1934年に出版された推理小説の名作はイスタンブールからカレーを走る日間のヨーロッパ横断の旅に出たオリエント急行の中で起きた残忍な殺人事件を名探偵エルキュール・ポアロが解き明かす。落ちていた“ボタン”が重要な意味を持つ。
 
大雪で立ち往生している列車の中で、乗客のアメリカ人富豪ラチェットがベッドで刃物で刺された死体が発見される。コナン・ドイルシャーロック・ホームズに匹敵するクリスティー・ミステリーの名探偵エルキュール・ポアロが謎の多い事件を調査する。
被害者の隣の部屋のアメリカ人老婦人ミセス・ハバードが、自室で男物の上着から「取れたボタン」を見つけポアロに報告する。夫人は夜中、部屋に不審な男が侵入したと車掌を呼んだが、誰も発見されなかった。
 
「このボタン、わかります? いっときますけど、わたしのじゃありませんよ。わたしの服からとれたんじゃありません。けさ起きたとき、見つけたんです。」
 
「、、、わたしはゆうべ、寝るまえに雑誌を読んでたんです。電気を消す前に、窓の近くの床においてあった小型のかばんの上に、その雑誌をおきました。そこまで、いいですか。」
 
「、、、けさ見ると、雑誌の上にボタンがのってたんです。え、どうです?」
 
「手がかりというやつですね」とポアロはいった。
 
雪で立ち往生し密室となったイスタンブール発カレー行の一等車両の乗客全員が犯行可能という状況でポアロは乗客すべてと面接し、尋問して二つの解釈を割り出した。
ポアロの一つ目の解釈は雪に閉じ込められる前、駅に停車した時、列車に侵入した犯人が、被害者の部屋に忍び込み犯行に及んだというものだ。
 
「寝台車の車掌の制服を手に入れていた犯人は、それを自分の服の上から着ました。マスターキーももっていたので、鍵がかかっていたラチェットの部屋に入ることもできました。ラチェットは、睡眠薬を飲んで眠っていました。男は勢いよくラチェットを刺し、ミセス・ハバードの部屋につうじるドアからででいきましたーー」
 
「そうです」とミセス・ババートがうなずいた。
 
「そして通りがかりに、使った短剣をミセス・ハバートの洗面用具いれに突っこみました。また、知らずに制服のボタンを一つ落としていきました。それから、部屋から通路に出ました。そして、あいていた部屋にあったスーツケースにいそいで制服を押しこむと、数分後、発車まぎわに、ふつうの服装で列車を降りました。このときも、食堂車の近くの扉という、おなじ出口を使いました。」
 
制服はこの列車に勤務している車掌のものではないことは、ボタンを縫い付けてある糸が全部古いものだということで証明された。
 
ポアロの第二の解釈は一等車両の乗客全員と車掌、計十二名が、互いにアリバイを補完しあう綿密な計画の下に、犯人を殺害したというものだ。死体には十二の角度や強さの異なる刺し傷が残っていた。
 
ポアロはこの列車に乗り合わせた旧友で国際寝台車会社の重役と検死を担当した医師にどちらの解釈が正しいと思うかを問う。
 
この小説は、1932年大西洋単独無着陸飛行に成功したリンドバークの幼い息子の誘拐殺人事件を基に書かれたといわれる。身代金を得、共犯者は捕まり死刑となったものの、主犯格の男は国外に逃れた。ラチェットはこの男をモデルとした。
 
誘拐され殺された幼児の祖母であるハバード夫人は殺人犯の凶悪さと犯罪が引き起こした悲劇をかたり「世間は、カセッティ(ラチェットの本名)に死を宣告しました――わたしたちは、それを執行しただけなのです」と語り、もし第二の解釈を公にせざるをえないなら自分一人に責任を負わせてほしいという。
乗客と車掌は幼児誘拐事件の犠牲者の親籍、友人、元雇人等で犯人に深い怨恨を抱いていて復讐の機会を狙っていた。ボタンは第二の推理を覆し、乗客たちの犯行を否定し得る証拠品として使われた。乗客たちを〝結ぶ"シンボルでもある。
 
オリエント急行殺人事件』は推理の醍醐味とエンターテイメント性を備えた人気作品であるが、私刑の是非、私立探偵の倫理的基盤や限界等の問題提起したTVシリーズも近年制作された。小説の基となったリンドバーク愛児誘拐事件については犠牲者を増やしてしまった社会問題、冤罪説など論争が続く。
 
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“Murder on the Orient Express” Agatha Christie  (Collins CrimeClub 1934, Harper Paperbacks)
映画『オリエント急行殺人事件』(Murderon the Orient Express(イギリス1974