十津川警部「ななつ星」に乗る


江戸時代初期、初代酒井田柿右衛門が赤絵付けに成功して以来400年近く、乳白色の素地に明るい色絵を持つ柿右衛門磁器は広く愛された。日本の焼物の代名詞ともいえる柿右衛門が、大切な食器、高価な骨董、九十九神の宿る器、理想郷のシンボルなど、人々の抱く様々なイメージで描かれる国内外の小説、テレビドラマ、随筆、詩歌、美術などを紹介する。

 
警視庁捜査一課の十津川警部が活躍する西村京太郎の人気トラベルミステリー最新の二作は「ななつ星」が舞台だ。全国の鉄道を舞台にさまざまな犯罪捜査を描いてきた西村は「ななつ星」の豪華な空間は殺人トリックにふさわしいという。
 
JR九州の豪華寝台列車ななつ星」のツアーは開業二年になる今(2015)も参加希望者は多く、十四室、三十人定員のツアーの予約申し込みの抽選倍率は二十から三十倍という。豪華な客車は福岡県大川の組子、手織り緞通等、伝統建具や家具調度、工芸や美術が飾られて贅沢な雰囲気を作り出している。
有田焼では、柿右衛門、今右衛門、源右衛門の磁器の洗面鉢、花瓶、テーブル・ライトが設置され、皿やコーヒーカップ等、星のロゴが入る白磁の食器は高麗庵清六窯の中村清吾のオリジナルものだ。
『「ななつ星」極秘作戦』に登場しツアーに参加する十津川警部の妻、インテリアデザイナーの直子は部屋に入ったとたん感動を言葉にする。
 
「わあッ」
「まるで芸術の森に入ったみたい」
 確かに、洗面所にある洗面鉢は十四代柿右衛門の名前が入ったものだし、壁は、窓を除いて、木の細工でおおわれている。窓は、ブラインド、障子、カーテンの三通りが可能である。
その窓は異常にタテに長い。ベッドに寝転んで、その理由が分かった。ベッドに寝たまま、外の景色が見えるように、ベッドの低さまで、窓になっているのだ。
ぜいたくと、繊細さ、と。その二つが、果たして、現代にマッチするかと考えているうちに昼食の時間になった。
 
1930年生まれで、陸軍幼年学校在学中に終戦を迎えた西村京太郎は、終戦七十年の機会に戦争を振り返る作品を書くことにしていたという。「ななつ星」を舞台にした二作は「謎に包まれた日中和平工作」と「占領下の接収の闇」の検証を絡めて展開する。
西村は取材のため、博多から長崎、阿蘇、湯布院を巡る一泊二日の「ななつ星」ツアーに参加した。
 
『「ななつ星」極秘作戦』では警視庁捜査一課の十津川警部が「ななつ星」に乗り、殺人と列車乗っ取り事件に挑む。事件は、中心人物の名をとり繆斌(みょうひん)工作と言われた第二次世界大戦末期の日中戦争終結工作を行った繆斌の孫、日本側関係者の子孫、歴史家たちが「ななつ星」で行う検証会議を妨害し、歴史の真実を葬るための犯行だ。
 
1945年、蒋介石の密令により来日した繆斌は、日本の中枢にいる人物と接触し和平の道を探ったが失敗に終わり帰国、その後1946年に処刑された。この和平交渉は日本の歴史には記されているが、中国の共産党の歴史には記述がない。
繆斌の孫周作文は歴史の真実を明らかにし、蒋介石裏切り者として処刑された祖父の名誉を回復しようと、「ななつ星」で日本側関係者と話し合う企画を立て妻紅花、台湾の同志二名と来日し三泊四日のコースに参加した。日本側は気鋭の歴史学者田中久子とその友人の歴史学者、当時の情報局総裁緒方竹虎(三男四十郎の妻は元国連難民高等弁務官緒方貞子)の秘書の孫で外務省職員の及川久男と妻美由紀、総理大臣小磯國昭の孫平田英輔等がこの検証会議に参加した。三日目の晩、阿蘇駅停車中、先頭のラウンジカーを借り切り外部から遮断し、関係者が集まった。
会議の概要は世界的に権威のある雑誌に発表することになっている。
このツアーには他にアメリカ人夫妻、日中友好協会会長とその妻、警視庁副総監の命を受け十津川警部が乗客を装い妻直子と参加している。
繆斌工作検証の会議の妨害が疑われるが、十津川はマークすべき人物が誰かもわからない。
 
列車は阿蘇駅に朝まで停車することになっていたが、明け方突然後方に走り出した。ラウンジカーの前の「ななつ星」の機関車は取り外されていたが、最後尾のスイート・ルームに在来線の普通の機関車が連結されていた。
日中友好協会会長とその妻が行方不明になり、アメリカ人夫妻、田中久子の友人である歴史家が殺害されていた。
十津川は共産中国の歴史に不都合な和平工作が明るみに出るのを阻止する為の犯行と考え、列車が爆破されると見、会議の参加者をラウンジカーの非常口から脱出させた。福岡県警のヘリコプターを動員し、関係者はすでに列車から脱出していることを知らせ、列車に取り残されている無関係の乗客を巻き添えにしないよう、列車を走らせている犯人に呼びかけ続けた。 
乗客は非常ボタンを押し、一時的に速度の落ちるタイミングで全員脱出した後、列車は鉄橋上で爆発した。
ストーリーは現代のフィクションだが、登場人物が会議で語る歴史は、戦争の時代に中枢にいた実在の人物がリアリティーのある場面に登場し、歴史小説のようだ。複雑な国際関係、軍部と政府の力関係、思惑、事情、他国との駆け引き、人間の限界が浮き上がり、バラバラに行われた複数の戦争終結工作が失敗し、双方に想像を絶する犠牲をもたらす終戦への過程が語られ、繆斌工作が、各々の国の歴史にどういう意味を持つか分析される。
検証会議には当時陸軍参謀本部の第十二課、通称ナンバー十二グループの参謀の孫も加わり米ソの冷戦を作り出し利用、日本が同盟国となり有利に和平に持っていく計画の存在が、繆斌工作の失敗に繋がったと明かす。
 
西村は「僕は陸軍幼年学校にいましたから、戦争が終わってからも*『偕行』なんて雑誌が送られてきて、戦争を様々な角度から振り返った記事や手記を読んできたし、実際に戦争を体験した人が少なくなってる現代だからこそ、書きたいことがいっぱいあるんです」と語っている。(『本の話Webインタビュー・対談 豪華列車「ななつ星」にあの十津川警部も驚いた!? 文芸春秋 http://hon.bunshun.jp/articles/-/3565>)
 
JR九州は台湾からの四人の客が事件に巻き込まれ旅行を楽しめなかったであろうと、あらためて「ななつ星」一泊二日の旅に招待した。旅行を終え周作文は礼状を残し台湾に帰った。
「二度にわたって、すばらしい会場というか車両を私たちのために提供して下さったことにお礼申し上げたいと思います。日本人と同じく、私たち中国人(台湾人)もななつ星のような豪華な部屋というか、列車が大好きで、そこに入り、ゆったりと寛いで、難しい話をするのが好きなのです。貧しい部屋からは貧しい考えしか生まれませんから。
最後に私の妻、紅花の言葉を添えさせて頂きます。ななつ星の洗面鉢に十四代柿右衛門の陶器が使われていたことに、紅花は感激したと、いっております。何しろ、紅花は、大変な柿右衛門ファンですから」
 
西村は日中戦争終盤の蒋介石による和平工作とその失敗について、さらにそこに参謀本部の動きなども絡めて、あえて豪華列車の中という舞台で関係者に話をさせた理由は、『ななつ星』というのは、現代の日本の平和の象徴だと思うんです。これがゆとりのない場所での話し合いだと、関係は余計にぎすぎすするだけで、あんまり建設的ではないのかと……」と語っている。(『本の話Webインタビュー・対談 豪華列車「ななつ星」にあの十津川警部も驚いた!?
ななつ星」に使われた有田の磁器はじめ九州の工芸作品は、冷静で建設的な検証のできる舞台に大きな役割を果たしている。
 
*****
 
『「ななつ星1005番目の乗客』では長崎、湯布院、宮崎、鹿児島、阿蘇を回る「ななつ星」ツアーに次期アメリカ駐日大使が参加したことから、事件が起こる。シャリ―・杉山・ケイコは大使になる前に日本のことを知っておきたいと来日し、九州を周遊する四泊五日のツアーに外務省の女性事務官とともに参加するが、ツアーの途中、二回行方をくらます。
一回目の行方不明後、外務省北米局長から依頼があり、十津川警部はケイコの警護に当たることになり、レンタカーで列車を追う。「ななつ星」ツアーの人気は高く、タイトルの「1005番目の乗客」とはキャンセル待ち1005番でこの列車に乗り込んだ謎の人物のことだ。
 
ケイコの祖父アーノルド T. シャリーは太平洋戦争後、占領軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の副官として来日した。アーノルドは日本人子爵の未亡人と結婚したが、米国の家族に敵国の女性との結婚を反対され杉山子爵家の養子になった。
アーノルドは民政局の局長として、接収した天皇のお召列車をアーノルド号と名付け、占領政策を徹底するため全国を廻っていた。しかし、1948年プライベートで九州を旅行している時、この列車が消えてしまった。その後朝鮮戦争がはじまり、アーノルドは従軍し、そのまま帰国した。占領下の日本では列車の行方の捜索もうやむやになってしまった。
 
このツアーには胡散臭い何人かの人物が参加している。親孝行旅行がしたくて悪知恵を働かせ母と乗り込んだ若い男が、悪徳骨董商がなぜいるのか不思議がる。
 
「この『ななつ星』は、全く、新しい豪華列車だよ。車内を見て歩いたが、古いもの、骨董品などはどこにも見当たらなかった。例えば、十四世柿右衛門が作ったものが並んではいたが、まだ、骨董品としての、値打ちは出ていないんだ。」
 

ツアーが立ち寄った地にあった三つの歴史的貴重品が盗まれ、乗客に疑いが掛かり足止めをくってしまう。これらは三種の神器八咫鏡 (やたのかがみ) 草薙剣 (くさなぎのつるぎ)のレプリカと、天皇世襲制に憧れたアーノルドが造らせたお召列車の三十二分の一の金の模型で接収した貴金属、宝石で飾られている。アーノルドは、これらを持ち帰れなかったが、ケイコが相続者になっている。

ケイコが「ななつ星」に乗ることを知った宝石の通信販売会社社員が、これらの宝物を盗み、ケイコに売りつけようとしたが失敗した。宝物はケイコの手に戻り、アメリカ大使館に飾られた。

新聞に大きく報道され、写真を見た摂収品の本来の持ち主達は返却を求め大使館に押し掛けた。接収品は調べが済んだら持ち主に返却されることになっていた。

十津川警部はケイコの宝物を飾る宝石の写真を沢山撮っていた。元の持ち主が写真を見て大使館に押し掛けたことで、福岡県警の警部に問われた十津川は「私の小さな愛国心からかな」といって一人で照れた。

 
お召列車行方不明、接収施策など史実を踏まえて物語は展開するが、占領時代の歴史は謎が多く、この物語は『「ななつ星」極秘作戦』に比べフィクション色はつよい。 
 
*****
 
『「ななつ星」極秘作戦』西村京太郎文芸春秋 2015; 初出『「ななつ星」が歴史を変える』「オール読物」2014 5月-11月)
『「ななつ星」一〇〇五番目の乗客』西村京太郎(光文社 2015; 初出「小説宝石2014 5月―11月)
*「偕行」は旧陸軍将校の親睦、学術研究を目的とする団体で、第二次大戦後に解散したが、のち元陸軍将校と陸上自衛隊幹部の親睦団体として復活した偕行社の発行する月刊誌。