2016-06-02から1日間の記事一覧

悲運の名工 副島勇七

十七世紀初頭に磁器焼成、次いで色絵付けに成功した有田の焼物はずば抜けて優品であった。積出港の名をとり伊万里焼と呼ばれ全国に出荷され、有田が海外貿易が唯一許されていた長崎に近いこともあり、焼物は藩のドル箱的存在であった。 藩は山に囲まれた大川…